一日散策 関西歴史紀行 【千本通+五辻通 senbon-itutuji】

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京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN07 千本通+五辻通 senbon-itutuji

PLAN07 千本通+五辻通 senbon-itutuji
PLAN07 千本通+五辻通 senbon-itutuji
PLAN07 千本通+五辻通 senbon-itutuji
PLAN07 千本通+五辻通 senbon-itutujiPLAN07 千本通+五辻通 senbon-itutuji

 千本(せんぼん)通は、平安京建都の際に造られた朱雀大路が起源とされ、船岡山南麓を起点に洛中を南北に奔る道であったと伝えられています。船岡山周辺には墓所が広がっていて、その地へ向かう道であったことから、千本の卒塔婆を建てて供養したことが通り名の由来といわれています。

 天皇の在所であった大内裏が千本通の丸太町あたりからかつて広がっていましたが、安貞元年(1227)に焼失し、その後安土桃山時代に豊臣秀吉が聚楽第を建てましたが、やがてそれも消え、農村地帯となりました。千本通には高級絹織物の生産地である「西陣」があり、ここは安土桃山時代から栄えていました。江戸、明治を通じて西陣織はその美しさ、すぐれた織りの技術で着物文化の高い水準を極めます。明治初期にはフランスからジャガード織機が導入され、さらに多彩な織物が生産されます。

 明治末期から都市計画の一環として市電が走り、西陣織の興隆と共に千本通はにぎわいを見せるようになります。日本で初めて映画館が誕生したのも西陣でした。芝居小屋や居酒屋などが林立し、「西陣京極」の呼び名で繁栄し、志賀直哉の『暗夜行路』にその名が登場し、水上勉の小説で有名な『五番町夕霧楼』の舞台となった花街「五番町」も造られました。今、その頃の面影がかすかに残っていて、往時をしのぶことができます。

 現在の千本通は、「関西歴史紀行」バックナンバーでご紹介した鷹峯から、南エリアの伏見区付近まで伸びる長い幹線道路となっています。

 今回は、地下鉄東西線「二条駅」をスタート地点にして、千本通を北上し、通りから少し脇道に寄り道しながら、五辻(いつつじ)通という風雅な名の通りを西に入ります。そして、京都最古の花街である上七軒の石畳の道を散策。そして、菅原道真公ゆかりの北野天満宮に至るコースを歩いてみましょう。

二条城西南隅櫓

二条城西南隅櫓と日本初の撮影所跡

 地下鉄二条駅の近くには、世界遺産「二条城」があります。せっかくなので見に行きましょう。駅から東へ少し歩くと、水堀越しに白壁の西南隅櫓が見えてきます。慶長7年(1602)から翌年に掛けて築かれ、その後改修を経て、現在も当時の姿のまま残こされています。二条城にはこの西南隅櫓と東南隅櫓の2つの櫓があります。二重二階櫓、入母屋造、本瓦葺の堂々とした姿は、小さな城の天守に匹敵するほどの威厳があります。

 この西南隅櫓から少し二条駅に戻った場所に看板が掲げられています。「二条城撮影所跡」です。明治43年(1910)に京都初の映画の撮影所が建てられ、大正から昭和にかけての日本映画興隆期を支えました。この撮影所では、牧野省三が尾上松之助と「忠臣蔵」を撮影したそうです。

撮影所跡.
大極殿石碑

大極殿跡にたたずむ

 千本通と丸太町通が交わる場所(北西部の児童公園内)に「大極殿跡」のモニュメントがあります。平安時代の天皇の在所であり、国の儀式などが執り行われた朝堂院も築かれていました。その広さは東西に約1.1キロ、南北に約1.4キロもありました。明治28年、大極殿を再建することになりましたが、この地域にふさわしい土地がなく、左京区の岡崎に再現されました。それが平安神宮です。石碑の前に立って目をつむれば、平安京の時代の気配を感じることができるかもしれませんね。

すっぽん料理「大市」

西陣のにぎわいを追想する

 千本通の下長者町を西入ルと、京町家のたたずまいに出会えます。すっぽん料理の「大市」は、江戸時代中期の元禄年間に、近江屋定八が創業し、以来350年に渡ってすっぽん料理一筋に営む老舗料理店。志賀直哉や川端康成、瀬戸内晴美、開高健など文人墨客が多く訪れた名店です。

千本日活の建物

映画館・千本日活

 西陣には多くの映画館が軒を連ねていましたが、現在残っているのはこの「千本日活」だけになりました。周囲は住宅街になっていて、映画館だけがかつての栄華の痕跡を残しています。

西陣京極の看板

西陣京極の輝いた日々

 西陣界隈が大いににぎわいを見せていた時代は明治末期から昭和30年代にかけての頃。芝居小屋や寄席、映画館、居酒屋などが建ち並んでいて、西陣京極と呼ばれています。

 千本通中立売と今出川通の間のエリアで、西陣織の職人たちが仕事終わりや休日にこの街で楽しみ、芝居小屋に出演する役者たち、ストリップ劇場の踊り子さん、コントに出演する芸人や寄席の落語家たちもこの界隈で飲食していたそうです。

西陣京極の路地

 今は町名しか残っていませんが、水上勉の小説『五番町夕霧楼』は昭和25年頃の花街・五番町の様子を描いていて、物語には、西陣京極で映画を見て、寿司屋に立ち寄る描写などがあります。今も、古くからの料理店や酒場が看板を掲げていますから、ふと立ち寄ってみるのも一興かもしれません。

千本釈迦堂への看板

五辻通をゆく

 千本今出川を越えると、西に向かって五辻(いつつじ)通が伸びています。平安時代末期から鎌倉時代、鳥羽天皇の皇女で葵祭の賀茂斎院でもあった頌子内親王(しょうしないしんのう)の館、五辻第斎院があったことから、五辻という通り名が付いたと言われています。

千本釈迦堂

洛中で最も古い本堂が建つ千本釈迦堂

 師走の大根炊きで有名な千本釈迦堂は、正式名を大報恩寺(だいほうおんじ)といい、真言宗智山派の寺。鎌倉時代初期の承久3年(1221)に草堂が建てられ、その後、安貞元年(1227)に本堂が建てられました。昭和26年の調査により、この年に棟上げされたことを記す古文書が発見され、800年の及ぶ風雪を耐えてきたと実証されています。京都にある寺院のなかでも最も古い部類に属する貴重な建物です。

上七軒の石畳

京都最古の花街上七軒の風情

 上七軒の歴史は室町時代にまで遡ります。北野天満宮再建の余材を使い、7軒の茶店が建てられたのが始まりで、桃山時代には豊臣秀吉が天満宮で開いた大茶会に茶店が団子を献上。喜んだ秀吉は上七軒を花街にすることを認めます。京都御苑より上に花街が造られるのはきわめて稀なことだといえます。幕末期には多くの志士がここで遊興を愉しみ、新撰組の面々も座敷に上がったとか。

 美しく整備された石畳の径、しっとりと落ち着きのある建物の風景に、舞妓さんの色彩豊かな着物姿がとてもよく似合い、多くの外国人観光客も立ち寄っています。祇園や先斗町とはまた異なる風情が楽しめますね。

提灯
天神堂外観

天神堂で「やきもち」を買って……

 上七軒から北野天満宮東門の途中に、天神堂「やきもち」という看板を上げているお店があります。昭和27年創業のやきもち屋さんで、昔ながらの製法で丁寧に作られています。観光客はもちろん、地域の人たちが買い求めるため、午前中で売り切れになってしまうこともしばしばだとか。温かいのがやはりおいしくいただけますから、買い求めたらすぐに食べたいですね。お店の中にもテーブルが置かれています。ぜひ立ち寄ってみたい一軒です。

やきもち

京銘菓「やきもち」天神堂

〒602-8395
京都市上京区今出川通御前通東入社家長屋町-687
075-462-2042
午前9時~午後5時
不定休
京都発季節の逸品
北野天満宮

北野天満宮へ

 さて、今回の散策コースの終着点である北野天満宮までやって来ました。

 「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」の歌で有名な菅原道真ゆかりの神社で、学問の神様でもあることから受験生の参拝者をはじめ、多くの人々でいつもにぎわっています。その由緒は、延喜3年(903)に太宰府の地で亡くなった菅原道真の祟りが京の都に災いを起こしたという風聞が広まり、朝廷は道真の左遷を撤回。天暦元年(947)に道真公を祀る社を創建しました。

北野天満宮

 境内には国宝の拝殿、楽の間をはじめ、多くの文化的価値のある建物が並んでいます。道真公は梅をこよなく愛したことから、境内には50種1500本にも及ぶ梅が植えられています。

 毎月25日の道真公の月命日には「天神市」が立ち、古道具から食べ物の屋台まで多くの店が参道を埋め尽くします。東寺の「弘法市(毎月21日開催)」と共に、古都京都の縁日をねらって出かけてみてはいかがでしょう。

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