一日散策 関西歴史紀行 【三条通 Sanjo】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN11 三条通 Sanjo part1

PLAN11 三条通 Sanjo part1
PLAN11 三条通 Sanjo part1
PLAN11 三条通 Sanjo part1
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 「京の七口」という言葉をどこかで耳にされたことがありましょう。王城の都である京へ入る口が七カ所あるという「七口」。「口」とは「関」のことで、関銭=通行料を取る場所でした。この巧妙な制度を作ったのは、室町時代の八代将軍・足利義政の妻であった日野富子だといわれています。商才にも長けた女性だったようですね。

この「京の七口」は、東海道の入口である粟田口(三条口)、山中越えから北国街道の荒神口、途中峠越えの若狭街道(鯖街道)の大原口、鞍馬街道からの鞍馬口、丹波街道の七条口、西国街道の東寺口(鳥羽口)、そして伏見街道の五条口(伏見口)で、ほかに丹波へつながる丹波街道の丹波口や北山の京見峠へ続く長坂口(清蔵口)などがあります。

今回めぐる三条通は、東海道五十三次の終始点である三条大橋へ続く道で、江戸から京に入るところにあるのが粟田口。この粟田口から歩き出してみたいと思います。京阪電車の「京阪三条駅」から市バスに乗り、「神宮道」まで行き、そこから少し歩いたところに粟田神社があります。この社を起点として、西の方向へ三条通を進みます。

日本列島を東西に結ぶ幹線道であった東海道は、江戸時代に整備された五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)のひとつで、江戸品川宿を起点に、京三条まで里程124里8丁、約487.8kmの道程で、その間に53の宿場町が造られ、旅籠の総数は3000軒を越えていたといわれています。

東海道はさまざまな小説に登場しますが、何より有名なのが『東海道中膝栗毛』で、作者は十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)明和2年(1765)から天保2年(1831)まで活躍した物語作家。『東海道中膝栗毛』は享和2年(1802)に刊行され、たちまちベストセラーとなります。弥次さん喜多さんの2人が、江戸からお伊勢参りをして京・大坂を旅する話で、道中に巻き起こる騒動の模様が滑稽なタッチで描かれています。

では、彼らも歩いて京に入った粟田口の粟田神社からスタートしましょう。

粟田神社
粟田神社粟田神社

粟田神社

 三条通に面して、歩くのが嬉しくなるような、なだらかな石畳が連なっています。粟田神社の参道です。平安時代、清和天皇貞観十八(876)年の春、「戦争や疫病が起こる」というお告げがあり、天皇は全国の神社に民の安全を祈願したところ、貴族の藤原興世(ふじわらのおきよ)の枕元に翁が現れ、「我は大己貴神なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王(ゴズテンノウ=スサノオノミコト)に縁ある地である。其処に我を祀れ。」と告げたことから、この地に社が築かれました。粟田神社の始まりです。別説としては、孝昭天皇ゆかりの粟田氏が此の地を治めていた時に氏神として当社を創建したとも伝えられています。京の七口・粟田口に鎮座まします社であることから、旅人の守護の神として多くの崇敬を集めています。

主祭神はスサノオノミコト・オオナムチノミコトで、厄除け・病除けの神と崇敬されています。境内には御本殿・桧皮葺拝殿をはじめ、摂社の北向稲荷神社、出世恵美須神社、末社として大神宮、鍛冶神社などがあります。また小高い場所にあることから京都の町を見渡す眺望が楽しめ、秋の紅葉時季には社全域が錦繍に彩られます。毎年10月に開かれる粟田祭は、長保3年(1001)に起源を持ついにしえの祭事です。

粟田神社

〒605-0051

京都市東山区粟田口鍛冶町1

075-551-3154
平安神宮の鳥居

三条通周辺散策

 三条通を西に向かって歩くと神宮道と交わります。神宮の名は平安神宮につながる道ということで、交差点あたりから大きな鳥居が見えます。明治28年(1895)4月、平安遷都1100年を記念して、大内裏の一部を復元した新しい神宮です。

また、平安神宮の反対方向には、青蓮院門跡、知恩院があります。青蓮院門跡は伝教大師最澄が開基の寺院で、大原三千院、妙法院とともに天台三門跡寺院とされています。門前寺院とは、皇室や摂関家の子弟による寺院で、江戸時代には仮の御所ともなったことから、「粟田御所」とも呼ばれています。平安神宮、青蓮院門跡とも、時間の余裕があれば散策参拝してみてもいいでしょう。

青蓮院門跡
古川橋商店街

古川町商店街

 三条通沿い、南に向かって細くてなつかしい雰囲気の商店街が伸びています。古川町商店街で、かつては「東の錦市場」と呼ばれていました。錦市場とは、寺町通と高倉通」の間にある「京の台所」といわれるにぎやかな商店街です。古川町商店街は、安土桃山時代以前からその存在が古文書に見られ、江戸時代の寛文6年(1666)に古川町通りとなりました。東海道に面していることから京の表玄関であり、知恩院や清水寺への参道として大いににぎわいます。南北50mの商店街には個性的な店が軒を連ね、歩くだけで時空を超えた感覚になります。

古川橋商店街の白川

アーケードを抜けたところには白川の疎水が流れ、小さな石の橋「行者橋」を渡ると知恩院の前につながっています。川面には鴨が居ついていて、なかなか風情があります。商店街で買い物をしたり、喫茶店でコーヒーブレイクを楽しむのもいいですね。

龍馬とおりょうの結婚式場石碑

坂本龍馬・おりょうの結婚式の石碑

 三条通白川橋東入南側、東山ユースホステル前に小さな石碑を発見しました。「坂本龍馬・お龍〈結婚式場〉跡」と刻まれています。この辺りは青蓮院門跡の旧境内で、金剛寺という塔頭がありました。ここで元治元年(1864)8月、龍馬とお龍さんが内祝言を挙げたそうです。お龍の父上が青蓮院に仕えた医師であったことから、この地で結婚の契りを結んだそうです。明治維新の立役者であった龍馬のロマンチックな物語が残る場所なんですね。

祇園饅頭

祇園饅頭をつまんで……

 四条の南座前にお店がある「祇園饅頭」。江戸時代から京の人々のおやつとして人気を集める逸品「志んこ」が名物です。その製造工場が三条通白川橋北側すぐのところにあります。
厳選した材料を使い、昔ながらの製法で作り上げたものです。

創業は創業文政年間、初代の近江屋伊助が「南座」西側で商いを始め、現在で6代目。作ったばかりの「志んこ」が頂けるとあって、多くの人たちが開店と同時に立ち寄られます。ぜひ散策の途中、訪ねたいですね。「志んこ」のほかに、「にっき餅」や「六方焼」「おはぎ」などもあり、食いしん坊ならいろいろと買い求めたくなります。

祇園饅頭

祇園饅頭 工場

〒605-0022

京都市東山区三条通白川橋西入大井手町103

075-771-1353
午前10時30分~午後7時
法林寺・だん王

法林寺

 京都市バス「三条京阪」のバス停横に、「だん王」と刻まれた寺院があります。檀王法林寺(だんのうほうりんじ)です。江戸初期に創建された浄土宗の寺院で、第2世の住持だった團王良仙の人柄がよく、京の町衆の人気を集めたことから「團王さん=だんおうさん」と呼ばれるようになったとか。街の真ん中にあるお寺。明治21年(1888)に建てられたこの三条門から境内に足を踏み入れると二層楼門があります。

高山彦九郎像

高山彦九郎御所望拝の銅像

 三条京阪の駅に、正座をして両手を揃えて伏している男性の銅像があります。高山彦九郎(たかやま ひこくろう)という江戸後期の尊皇思想家で、上野国新田郡細谷村、現在の群馬県太田市出身の人物。尊皇とは、天皇に対し忠義を尽くすことを意味していて、京へ来た彦九郎は御所の方向に向かい敬意を表すために正座し望拝したことから、昭和3年(1928)にこの銅像が建てられました。

彦九郎は、戦前の教科書には楠木正成とともに登場する忠君愛国の士でした。戦時中、金属供出のために「応召」したものの、昭和36年(1961)に再建されました。京都人は、彦九郎の銅像がなくなって内心ホッとしていたと、歴史学者の林屋辰三郎氏が『京都』(岩波新書)に書いています。つまり、京都の人々は尊皇心は深いものの、この銅像のような正座望拝の姿については、「あまりもったいぶった表現はきらい」だったと記しています。果たして現代において、この銅像はどのような評価をされているのか。学生たちは、待ち合わせの場所としてこの銅像の前を言い表すとき、「ほな、土下座前にしよか」などと言うようですが、謝罪のための土下座ではなく、あくまで御所を拝んでいる姿であることをご理解して頂きたいものです。

三条大橋

三条大橋(東海道五十三次の始点・終着点)

 三条大橋は東海道五十三次の、江戸から見た終着点。天正18年(1590)に豊臣秀吉が増田長盛を奉行として架橋させたもので、江戸時代になってからも幕府の公儀橋とされた重要な橋です。橋の欄干には擬宝珠(ぎぼし)が付けられています。宝珠とは釈迦の骨壺の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のともいわれ、それに擬したものであることから擬宝珠と名づけられ、魔よけの効力を持つともいわれ、三条大橋が重要な橋であったことが窺い知れます。

三条大橋

この擬宝珠には刀傷があり、これは元治元年(1864)6月5日に起こった池田屋事件(三条小橋の旅籠池田屋にいた長州、土佐両藩の尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の新選組が襲撃した事件)の際に付けられたものだといわれています。

駅伝レリーフ

「駅伝発祥の地レリーフ」

 三条大橋の東詰に「駅伝発祥の碑」が建てられています。大正6年(1917)4月27日から3日間にわたり、日本初の駅伝競走がここをスタート地点にして始まりました。この三条大橋をスタートしてどこまで走ったかといえば、なんと、東京の上野不忍池がゴール地点。総計約508キロ及ぶ長い駅伝でした。東海道を23区に分けて関西組と関東組のチームが走り抜いたもので、関東組のアンカーとしてゴールを切ったのは金栗四三(かなくり しそう)で、この金栗を主人公にして、2019年のNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」がドラマ化されます。

弥次さん喜多さん像

弥次喜多像

 三条大橋西詰には、十返舎一九(1765~1831年)作の『東海道中膝栗毛』の主人公、弥次郎兵衛さん喜多八さんの像が建っています。江戸神田八丁堀から東海道を西に、伊勢神宮を参拝し、その後京・大坂を旅した旅物語ですが、作者の一九は京に上ったことがなかったことから、図会などを見て書いたといわれています。弥次喜多像の横にある撫で石を撫でると旅の安全が祈願できるそうです。

高瀬川

高瀬川を越えて西へ進む

 高瀬川が流れる木屋町通を越え、河原町通を横切るとアーケード街が見えてきます。三条名店商店街で、多くの土産物店、飲食店、楽器店などが並ぶ繁華街です。南に向かって新京極、寺町のアーケードが伸びていて、多くの観光客でにぎわっています。寺町通から西は、明治時代もっとも栄えた通りで、旧日本銀行京都支店や郵便局など、懐かしい雰囲気の建物が点在しています。

三条商店街アーケード
京都文化博物館

京都府京都文化博物館

 古都京都の歴史文化を紹介する京都文化博物館は、平安建都1200年の記念事業として創設されたもので、三条通沿いに旧日本銀行京都支店を別館として、北側に本館が建てられています。

別館の威風堂々とした煉瓦造りの建物は、建築家辰野金吾と弟子の長野宇平治による設計で、明治39年(1906)に竣工。昭和40年(1965)まで日本銀行京都支店として使われていました。明治の代表洋風建築として、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されました。

京都文化博物館

本館1階は、総合案内所とミュージアムショップ、江戸末期の京の町家を再現した町並みが並び、名産品や飲食店があります。2階の総合展示室では、「京の歴史」「京のまつり」「京の至宝と文化」を紹介し、3階では京都府所蔵の古典・名作映画が上映されるフィルムシアター、4階には特別展示室としてさまざまな特別展が繰り広げられています。京都の歴史、精神文化を学ぶにふさわしい場所ですので、ぜひ立ち寄ってみたいものです。

京都府京都文化博物館

〒604-8183

京都市中京区三条高倉

075-222-0888
総合展示
一般:500円/大学生:400円/高校生以下:無料(特別展は別途料金)
別館:入場無料(催事により有料の場合があります)
総合展示:午前10時~午後7時30分(入場は午後7時まで)
特別展:午前10時~午後6時(毎週金曜日は午後7時30分まで延長~入場は30分前まで)
別館:午前10時~午後7時30分(各種イベント時は別)
ろうじ店舗:営業時間は店舗によって異なります
月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は、翌火曜日~詳しくはホームページをご覧ください)
http://www.bunpaku.or.jp/
中京郵便局

歴史的界隈景観地区

 京都文化博物館だけでなく、三条通に沿って日本生命京都三条ビルや、中京郵便局など赤煉瓦の外観が美しい建物群が並んでいます。中京郵便局の建物は、明治35年(1902)に建築されたネオ・ルネサンス様式のもので、今も現役です。こうした建物を眺めながら烏丸通までやって来ました。

三条通はさらに西へ

 三条通は平安京の三条大路であった通りで、東は山科区四宮付近に始まり、西は右京区の嵐山渡月橋に至る長い通りです。今回は「三条通その1」としてご案内しましたが、「その2」では、烏丸通から嵐山にかけての道を歩きたいと思います。

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