一日散策 関西歴史紀行 【三条通その2Sanjo part2】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN13 三条通その2Sanjo part2

PLAN13 三条通その2Sanjo part2
PLAN13 三条通その2Sanjo part2
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 三条通は、山科から嵐山の渡月橋まで続く長い通り。東海道の終点である三条大橋を含む京都のメインストリートです。すでにお届けしている「三条通その1」では、京の七口のひとつである粟田口から烏丸三条までの区域を歩きましたが、その延長線上の三条通を「その2」と題して今回は歩いてみたいと思います。

 起点となるのは右京区の嵐山渡月橋。有数の観光地として有名で、いつも多くの観光客で賑わっています。渡月橋からは、天龍寺から清凉寺、二尊院、直指庵、祇王寺など嵯峨野散策のすてきな散策道がつながっています。またの機会に「嵯峨野の道」としてご案内したいものです。

 渡月橋を東に渡ると、三条通が始まります。車の往来もある道ですが、途中すこし寄り道をしながら、平安京の内側に向かって歩き出しましょう。

 三条通は途中、西大路通から葛野大路通までの区間、京福電気鉄道嵐山本線(通称・嵐電(らんでん)が路面を走っています。車折神社(くるまざきじんじゃ)、帷子ノ辻(かたびらのつじ)、太秦(うずまさ)蚕の社(かいこのやしろ)など、難読地名の地域が点在しています。今回は、懐かしい雰囲気の嵐電にも乗車してみたいと思います。

 終点は、千本通から堀川通の間に延びる「京都三条会商店街」です。大正3年に72店舗が軒を連ねた、ゆったりとした楽しい商店街で、歩いた後の疲れを癒してくれる風呂屋や居酒屋があります。もちろん土産物を買うこともできます。

 三条大橋から烏丸までのメインストリートとはまた違った、香しい風情を感じさせる三条通の西篇をお楽しみください。起点は阪急電車「嵐山駅」です。

中ノ島橋

中ノ島橋

 阪急の嵐山駅から渡月橋方向へ歩き出すと、中ノ島に渡る小さな橋が架かっています。中央部分が少し盛り上がり、太鼓橋と呼ばれています。小さな橋ですが、その質素な姿かたちから、京都で撮影される時代劇、「必殺仕事人」や「鬼平犯科帳」などにしばしば登場する橋です。橋の上で斬り合って、川へ落ちるシーンなど様々な場面がここで撮影されています。時代劇をよく見ていると登場するので探してみるのも一興です。

渡月橋

渡月橋

 この有名な橋が架けられたのはいつか?「承和年間(834~848)に僧の道昌が架橋したのが始まりとされ」という記述もあるようですが、道昌とは弘法大師空海の弟子で、和銅年間に僧・行基(668~749)が元明天皇の勅願により葛井寺を建立しましたが、その後荒廃。空海と道昌が葛井寺を再興させ法輪寺とします。そのときに橋が架けられたといわれています。

渡月橋

 鎌倉時代になり、後嵯峨天皇(1220~1272)が嵐山に別荘を営み、その子である亀山天皇(1249~1305)が夜半の月を眺め、まるで橋が天空の月を渡しているように思えたことから「渡月橋」の名が付けられました。そして、大堰川の背景となる山に桜の木を植えたのも後嵯峨天皇で、吉野の里から取り寄せたそうです。現在の位置に架橋したのは、高瀬川を開削した角倉了以(すみのくら りょうい:1554~1614)です。

 明治の初め、嵐山は荒れ果てていたそうで、従来この界隈の保全をおこなっていた天龍寺や法輪寺が明治維新の廃仏毀釈により微禄(予算削減)となったことに起因していました。それを知った維新の三傑・大久保利通(1830~1878)は、かつて舟遊びをしたこの景勝地の荒廃に心を痛め、新政府が支援して美観を取り戻したとか。

 全長155mの渡月橋。多くの観光客が行き交いますが、歴史の中でいくつもの物語があることを思いながら歩いてみるのもいいでしょうね。

車折神社
車折神社車折神社

車折神社

 渡月橋を渡り、三条通を東に向かってしばらく歩いていくと車折神社が見えてきます。嵐電「嵐山駅」から電車に乗るなら3つ目の駅。車折と書いて「くるまざき」と読みます。

 ご祭神は、平安時代の儒学者・清原頼業(きよはらのよりなり)で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られます。頼業亡き後、廟が建てられ「宝寿院」となり、室町時代、足利尊氏によって天龍寺が創建されると、その末寺となりました。

 頼業は桜を愛していたことから、「桜の宮」とも呼ばれていましたが、後嵯峨天皇が宝寿院の門前を通りかかった折、牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られました。これ以後、「車折神社」と称することになったのです。

 頼業の学徳により、学業成就・受験合格をはじめ、約束を守ることにも強い霊験があることから、商売繁盛や財運向上、良縁成就などのご利益があります。

 また、境内には天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀る一社「芸能神社」があります。天宇受売命は、天照大御神が天岩戸に隠れられ、世界が暗黒に閉ざされたとき、岩戸の前で演舞して大御神が御出現になって光明をもたらした物語に由来する神様。そうしたことから、歌舞音曲に関わる多くの芸能人、芸術家の玉垣が奉納されているのでも有名です。ゆっくりと眺め歩くのも楽しいですね。

車折神社

〒616-8343

京都市右京区嵯峨朝日町23

075-861-0039(代)
斎宮神社

斎宮神社

 車折神社から三条通を少し東へ進むと、沿道に小さな神社が鎮座されています。斎宮神社です。天照大御神を祭神に、伊勢神宮に奉仕される斎宮が、この近くを流れる有栖川あたりに野宮を建立したことを由来とする社で、こぢんまりとした境内ながら、椋(むくのき)の巨木が堂々とした姿を見せています。ご挨拶したいものです。

斎宮神社

〒616-8315
京都市右京区嵯峨野宮ノ元町34
拝観無料
嵐電「帷子ノ辻駅」看板

嵐電「帷子ノ辻駅」看板

 帷子ノ辻という不思議な名前の由来をここで少しお話ししましょう。
平安初期、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばなのかちこ 786~850)が檀林寺を建立したことから、檀林皇后と呼ばれました。

 檀嘉智子はたいへんな美貌の持ち主で、多くの男性から慕われましたが、彼女自身はそのことを憂い仏道に帰依するようになります。「諸行無常」……永遠なる生命などないと考え、やがて亡くなる前に「私の亡骸を嵯峨野の野辺に打ち棄てよ」と遺言します。その通りになった亡骸は鳥や獣によって餌食となり、身体に掛けられた死装束の経帷子が風に舞ったことから、その地を「帷子ノ辻」と呼ぶようになったという伝説です。我が身を投げ打ち魂の救済を欣求したという解釈など、様々な説が唱えられていますが、不思議な地名の背景にはこうした物語があったのです。

大映通り商店街

大映通り商店街

 嵐電「帷子ノ辻駅」から東南方向に向かって「大映通り商店街」が伸びています。かつてこの辺りに大映という映画会社の撮影所があり、大いに賑わいを見せていました。現在も松竹撮影所、東映太秦映画村が近くにありますが、大映京都撮影所は、昭和2年(1927)に日活太秦撮影所として開所し、その後「大日本映画製作株式会社」となり、戦後も多くの映画作品を生み出します。黒澤明監督『羅生門』(1950)、溝口健二監督『雨月物語』(1953)、衣笠貞之助監督『地獄門』(1954)など、

大映通り商店街

日本映画興隆期の名作がこの撮影所で生まれました。
 撮影の待ち時間、俳優たちが衣裳を身に着けたままこの商店街の食堂などに出入りし、映画の街、日本のハリウッドと呼ばれるようになったのです。撮影所は1986年に完全閉鎖されますが、今も大映の名前を残した商店街は健在です。撮影カメラを模した街灯などがあり、キネマ・ストリートとして親しまれています。

 その映画通りのシンボルともいえるのが「大魔神像」です。5mを越える巨大な大魔神は、見上げるほどに迫力があります。1966年から製作された『大魔神』は3部作として大ヒットしました。戦国時代、虐げられた民衆のために、穏健な石像だった大魔神がその表情を変え、悪徳に立ち向かう姿は一度見たら忘れられない恐怖感があります。商店街の中ほどに鎮座する大魔神。今にも動き出しそうなほどリアリティがあります。

大映通り商店街

京福電鉄嵐山本線「帷子ノ辻駅」下車徒歩1分
JR西日本 嵯峨野線(山陰本線)「太秦駅」下車徒歩10分
京都バス 61,62,63,64,65,71,72,73,74,75各系統
太秦広隆寺前、太秦開町、帷子辻の各バス停下車すぐ
うずキネマ館・キネマキッチン
うずキネマ館・キネマキッチンうずキネマ館・キネマキッチンうずキネマ館・キネマキッチン

うずキネマ館 キネマ・キッチン

 大魔神が帰って来た2013年3月14日にオープンしたコミュニティスペース「うずキネマ館 キネマ・キッチン」。映写機やカメラ、古い映画雑誌、貴重な台本などが閲覧でき、さらにランチを楽しむことができる楽しいスペースです。ちょっと休憩に立ち寄るにはうってつけのお店ですね。

 映画スターの好物だったメニューや、季節の野菜を使った「おばんざい」のバイキングが、レトロな雰囲気の中で楽しめます。

 今回はこの二品をオーダーしました。一品めは、往年のスターである勝新太郎と市川雷蔵がお皿の上で奇跡の共演!と書かれた「太秦名物かつライス」は、勝新太郎の「かつ」と市川雷蔵の「ライ」をひっかけた洒落の利いたランチ。これを食べると男前になれるかもしれませんね。

 二品めは、「おばんざいバイキング付定食」。A・B・Cのセットがあり、お母さんたちの手作りのおばんざいが頂けます。いろいろ少しずつ食べたいという食いしん坊にはぴったりのメニューです。

うずキネマ館 キネマ・キッチン

〒616-8167

京都市右京区太秦多藪町43 うずキネマ館

075-871-6556
午前11時~午後9時
※日・祝日はランチタイムのみ(午前11時~午後2時)
定休日なし(盆正月休みあり)
https://www.facebook.com/Kinemakitchin/
三吉稲荷神社

三吉稲荷神社

 「キネマ・キッチン」を出て少し歩くと、日本映画の父と呼ばれる牧野省三(1878~1929)の顕彰碑が建つ三吉稲荷神社があります。阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、高木新平、月形龍之介、市川右太衛門といったスターを育てた牧野。伴淳三郎や入江たか子など、往年の銀幕スターの玉垣もあります。映画好きならお詣りしたいものです。

三吉稲荷神社

〒616-8167

京都市右京区太秦多藪町14

嵐電

嵐電に乗ってみよう!

 広隆寺は、平安京建都以前からこの地に建てられていた京都最古の寺。桓武天皇の遷都に協力した帰化人である秦氏の氏寺で、聖徳太子信仰の寺としても有名です。国宝・弥勒菩薩半跏像の寺としても知られ、時間があればぜひとも立ち寄りたい古刹です。

 今回は、この広隆寺の前にある「太秦広隆寺前」から嵐山電車に乗って、西大路三条まで行きましょう。先頭車両から眺めると、うねるっているような地形を這うように走る路面電車の楽しさが味わえます。

京都三条会商店街

京都三条会商店街

 千本通と三条通の交わるところから東に向かい、アーケードのある商店街が堀川通まで伸びています。大正3年に開業した京都三条会商店街です。もともとは油小路通と大宮通の間に72軒の店で発足したそうですが、当時の京都は、三条大宮から西方向は田畑が広がっていて、夜になれば嵐山や太秦の灯が眺められたそうです。近在の畠の農作物を運んで売ったりし、徐々に街道町として栄えてきました。現在は昔ながらの商店と、町家を改装したカフェや雑貨店などオシャレな店舗が並んでいます。

武信稲荷神社
武信稲荷神社武信稲荷神社

武信稲荷神社

 この三条会商店街の中央から少し南へ下ったところに、「武信(たけのぶ)稲荷神社」があります。平安時代初期の清和天皇貞観元年(859年)、藤原良相(ふじわらのよしすけ)公によって創祀された社で、その後、藤原武信なる人物が深く信仰したことから武信稲荷神社と称されました。健康長寿、家内安全、病気平癒、交通安全、火難・盗難などに御加護がある御神徳を持つ神社として、今も厚い信仰を集めています。

 長い神社の歴史の中で、坂本龍馬に関する面白い逸話が残っています。

 江戸末期にこの社の近くに六角獄舎という牢獄がありました。そこに囚われの身となっていたのが、龍馬の妻女・お龍の父・楢崎将作(ならさきしょうさく)でした。楢崎は医師(青蓮院宮尊融法親王の侍医でもあった)で、勤王思想の持主であり、勤王の志士を支援したことが原因でした。その当時、牢獄へ女性が面会に行くことはできなかったし、龍馬も幕府から狙われている身の上。そこで龍馬は、六角牢獄を見下ろすことのできる巨木の上から、義父の楢崎将作の様子を探ったといわれています。

 また、龍馬とお龍もなかなか会うことができずにいたことから、龍馬はこの境内にある榎に、彼自身が「龍」の文字を刻み、お龍に「わしは元気で生きておるぜよ」という伝言を発したといわれています。これによって二人は無事再会することができたそうです。

 御神木である榎は樹齢約850年。榎は「縁の木」とも読め、恋愛の神としても知られています。龍馬とお龍の逸話も含め、ロマンチックな物語がここにあります。

武信稲荷神社

〒604-8801

京都市中京区今新在家西町38

075-841-3023

堀川通から歩いて阪急「四条大宮駅」へ

 帰り道は、堀川通を四条通まで下がり、右折して「大宮駅」までは約10分程度です。

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