一日散策 関西歴史紀行 【醒ヶ井 Samegai】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN16 醒ヶ井通 Samegai

PLAN16 醒ヶ井通 Samegai
PLAN16 醒ヶ井通 SamegaiPLAN16 醒ヶ井 Samegai
PLAN16 醒ヶ井通 Samegai
PLAN16 醒ヶ井 Samegai

京都は「水の町」です。

 東西と北部を山々に囲まれた盆地である京都は、数万年前には湖であり、大阪湾へ連なる江湾であったといわれています。冬の底冷え、夏の蒸し暑さは、町の下に今も大量の水を貯蔵する水脈がもたらすものであり、気温の変化によって水温が変化し、それが湿潤な気候を作り出しているのではないかと考えられています。

 その水脈が地表に溢れ出しているのが「神泉苑」の池であり、二条城が築城されるまでは今よりかなり大きな池であったといわれています。神泉苑に関しては、「関西歴史紀行」の「姉小路篇」に書いていますので参照ください。

 京都は、高野川、賀茂川、白川、大堰川(桂川)などを開削改修することで町として発展を遂げて来たといえます。江戸後期の文人・頼山陽(1781~1832)が旧邸(丸太町橋の北、鴨川の西岸)に「山紫水明処」と名づけたのは、そのまま京都への讃辞です。

 水の町である京都には、豊富な地下水を使い、豆腐、生麩、和菓子、名酒などの食文化が成熟し、京友禅などの染色技術が発展しました。また、茶道の源流が堀川近くの一角に誕生したのも、水の良さと深く関係しています。京都と水は切っても切れない関係を持ちながら、長い歴史を刻んできたといえるでしょう。

 堀川通の一本東側に「醒ヶ井通」という細い通りがあります。今回の散策はこの通りです。豊臣秀吉の京都大改造によって誕生した通りで、堀川五条にある名水の井戸「佐女牛井(さめがい)」にその通り名は由来しています。

 スタート地点は、堀川五条の交差点の南西側、京都東急ホテルを少し下ったところからです。京都駅から市営バス9、28、73系統などがあり、四条烏丸からは43系統が通ります。堀川通は車の往来が激しい道ですが、歩道橋などが整備されています。

 あまり観光ガイドには載らない醒ヶ井通ですが、北へ向かってゆっくりと歩いて行くと、沿道には歴史を感じさせる多くの旧跡名所があります。

佐女牛井之跡

佐女牛井之跡

 京都東急ホテルの少し南側の舗道に「佐女牛井之跡」という石碑が建っています。平安時代から京の名水として知られる井戸の跡で、「染井」、「縣(あがた)」と共に京の三名水といわれています。

 この井戸は、源氏の邸である六条堀川館に取り込まれていたそうです。堀川館には、源頼義(988~1075)を皮切りに、義家、為義、義朝、義経、そして静御前も住み、平治元年(1160)の「平治の乱」によって焼失したと伝えられています。その後、義経が再建したものの1185年には取り壊されます。

 室町時代には僧侶で茶人であり、「わび茶」の開祖であった村田珠光(1423~1502)がこの地で茶の湯を立て、足利義政も訪れたといわれています。

 江戸期には千利休の十哲であった織田有楽斎(1547~1621)が改修するものの、天明の大火(1788)や第二次世界大戦の民家移動(疎開)によって井戸は撤収され、現在はこの「佐女牛井之跡」の碑だけが残されています。

佐女牛井之跡

〒600-8337

京都市下京区堀川五条下ル

醒ヶ井通

醒ヶ井通を歩く

 現在もこの界隈には、佐女牛井町という地名が残っていますが、同音でありながら表記を醒ヶ井と変えた理由については明確ではありません。いずれも「さめがい」と読み、古くから清水(きよみず)を意味する語であったことはたしかなようです。

山本亡羊読書室旧蹟

山本亡羊読書室旧蹟

 醒ヶ井通の一筋東は油小路通で、ちょっとこの通りに寄り道しましょう。

 油小路五条を少し上ルに、「山本亡羊(ぼうよう)読書室旧蹟」という石碑があります。山本亡羊(1778~1859)は、江戸後期の医者で本草学者でした。元日を除く一年毎日、医者として患者を往診したといわれています。

 読書室とは本草漢学塾の名称で、北陸から尾張以西より多くの門人がここで医学、本草学を学びました。本草学とは、動植物、鉱物なども含めた医薬の原料に関する中国伝来の学問で、神仙思想の医術と区別する医学という意味で使われた用語です。

 読書室には膨大な書籍、史料などがあり、亡羊の後を継いで子息、子孫に受け継がれました。

住吉神社
住吉神社住吉神社

住吉神社

 醒ヶ井通に戻りましょう。細い小路のような通りを北に向かって歩いて行くと、「住吉神社」という看板が目に飛び込んできます。住吉と聞けば、自分の家の近所にある住吉神社を思い起こす人が多いと思います。住吉の名をつけた神社は全国に約600近くあり、その中で三大住吉神社といわれるのが、大阪の住吉大社、下関と博多の住吉神社で、この三社から多くの住吉神社は分祀されています。

 ここ醒ヶ井通にある住吉神社は大阪の住吉大社より、保元2年(1157)に後白河天皇の勅旨をうけた藤原俊成により平安京五条(松原)烏丸の地へ分祀されました。その後、正親町天皇により、永禄11年(1568)高辻堀川に遷座され、豊臣秀吉の京都大改造によって醒ヶ井通が整備されたとき、この界隈の地名を「住吉町」と定めました。以降、現在までこの地名が残っています。

 この住吉神社のある醒ヶ井通と高辻通が交差するあたりは、かつて洛中で最も高地であったと言われています。洛中の範囲は、鴨長明の『方丈記』によれば「一条ヨリハ南、九条ヨリハ北、京極ヨリハ西、朱雀ヨリハ東」とあり、北は現在の一条通、南は九条通、京極とは寺町通あたり、朱雀とは千本通あたりであり、この範疇を「洛中」と呼びました。最も高い場所に建てられた住吉神社は、境内から周囲を見渡し、周囲からはこの社が標(しるべ)となっていたのかもしれませんね。

 こぢんまりとした境内には、天照大神、田霧姫神に、住吉三神である底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の海と航海の神々、神功皇后、武内宿禰の七柱を祀っています。底筒男命の三神は和歌の神でもあり、大阪の住吉大社の地が『万葉集』をはじめ多くの歌集に詠まれていることに起因しているそうです。境内には熊丸稲荷神社、人丸神社など美しい境内社などもあり、散策の途中、立ち寄りたい社ですね。

住吉神社

〒600-8335
京都市下京区醒ヶ井通高辻下ル住吉町481番地
亀屋良長

亀屋良長で名物「烏羽玉」を……

 醒ヶ井通と四条通が交差する北側に、享和3年(1803)創業の和菓子店「亀屋良長」があります。京菓子の名店であった亀屋良安から暖簾分けしてから二百数十年、この醒ヶ井の地で営業を続けています。初代店主は、水清き地であるこの醒ヶ井を選んだそうです。和菓子づくりに水は欠かせないものであり、菓子の材料である小豆やもち米の風味、素材の持つ香りを引き立てる重要な役割を担っています。「亀屋良長」の店舗表には、醒ヶ井の清水が滾々と湧き流れています。汲み水をして持ち帰ることもできるそうです。

 店内に入ってみましょう。最初に目に飛び込んでくるのが、つややかに輝く漆黒の丸い玉のお菓子、「亀屋良長」の代表銘菓である「烏羽玉(うばたま)」です。創業当時から途切れることなくつくり続けられてきたお菓子。檜扇(ひおうぎ)の実を思わせる形と色は、琉球八重山・日本最南端の波照間島産の黒砂糖をつかった「こしあん」に「寒天」をかけたもの。

 古語で「黒」は「ぬば」といい、和歌で夜や髪の枕詞として「ぬばたまの…」と使われたりしています。漢字では「射干玉」と表記しますが、「ぬ」が「う」に転訛して「烏羽玉」となり、檜扇の実を表わしています。

 店内にテーブルと椅子が設えられていて、「季節の生菓子と抹茶」と「烏羽玉3種と抹茶」のセットメニューがあります。今回は「烏羽玉3種と抹茶」を選びました。

「烏羽玉」と「まろん」「オリジナルの烏羽玉」の3種類の味を楽しみ、抹茶を頂きます。実に洗練されたおいしさに満ち溢れています。

散策途中、休憩がてらに立ち寄って味わい、また、お土産にしてもいいですね。

亀屋良長

〒600-8498
京都市下京区四条通油小路西入柏屋町17-19
075-221-2005(FAX 075-223-1125)
info1@kameya-yoshinaga.com
午前9時~午後6時
年中無休(1月1日、2日をのぞく)
無料
http://kameya-yoshinaga.com/
醒ヶ井通から三条通
醒ヶ井通から三条通醒ヶ井通から三条通

醒ヶ井通から三条通あたり

 「亀屋良長」さんから醒ヶ井通を上ルと、京都市立堀川高校の校舎に行き当たります。ここで右折して油小路通を北上し、また醒ヶ井通に戻りましょう。

 堀川高校の北裏に「くうやどう」という石碑が建つ古刹があります。「空也堂」です。

 空也上人といえば、口元から6体の阿弥陀仏が放ち出されている造作のものが有名ですね。6体の阿弥陀像は南無阿弥陀仏を象徴しているそうです。空也は平安中期の僧で、阿弥陀聖と呼ばれています。

 ここから通りは細くなり、住宅の軒先を歩くような感覚になります。

 空也堂から上がる界隈は「越後突抜(えちごつきぬけ)町」という地名です。有名な天使突抜など、京都市内にはいくつかの「突抜町」があります。これは、豊臣秀吉の首都大改造当時の京都は、武士が多く住む上京と商人町人が暮らす下京と分けられていました。これでは都市の発展は難しいと、秀吉は上京と下京の間に新しい通りを造ります。これが「突抜町」の始まりです。ちなみに、当時は「中京」という区域は存在していませんでしたし、花街の祇園もまだ誕生していませんでした。

 このあたりを「越後突抜町」といい、通りの行き止まりに「越後神社」という小さな社が鎮座されています。室町時代、ここに杉若越後守という武将の屋敷があり、それが地名由来だそうです。戦国時代になると、北近江の浅井長政の所有地、幕末には丹波篠山藩青山家の京屋敷がありましたが、この神社は鎮守社として連綿と引き継がれました。今も、神社参道を「青山路地」と呼びます。ちなみにこの青山家の江戸屋敷があったのが、現在の港区青山あたりで、こちらも地名として残っています。

 「越後神社」は、京友禅とも深いつながりのある社で、明治初期に「写し友禅染」を発明した染色家の広瀬治助(1822~1890)が青山家屋敷跡に工場を建設し、涌き出る豊かな水を使い、友禅を大量に生産しました。このことから「越後神社」は、「友禅神社」とも呼ばれ、染色を生業とする人たちの社として大切にされているそうです。

越後神社

〒604-8256
京都市中京区醒ヶ井通六角通上ル越後町
林龍昇堂

林龍昇堂で「お香」を買って帰りましょう~

 醒ヶ井通は六角通で終わります。帰り道がてら、にぎやかな三条通を歩いていると、「林龍昇堂」という木製の看板があり、思わず引き込まれてしまいます。そして店の前まで来ると、実に芳しい薫りがします。ここはお香屋さんなのです。

 創業は、天保5年(1834)といいますから200年近く営業されている老舗。店内に足を踏み入れると、心地のいい薫りの薄くてしなやかな膜に包まれたような感覚になります。

 お香とは、一般的に香木やお線香、お焼香などの香りもの全般を指すそうですが、伽羅や沈香、白檀などを示すものでもあります。お香には「聞香(もんこう)」という、香炉を掌で覆って手に溜まった香りを鑑賞するものや、「空薫(そらだき)」という、部屋に漂わせて楽しむ方法など、多彩な愉しみ方ができます。

 飛鳥時代、佛教の伝来と共に日本に伝わったお香。平安時代には香りを楽しむ文化が生まれ、足利義政の御代に「香道」が誕生します。江戸時代には庶民の間にもお香の楽しみが拡がっていきます。

お香は、豊かな精神文化があってこそ愉しめるものかもしれません。ゆったりと、丁寧に生きて行くことを、香りが私たちに教えてくれているのかもしれませんね。

 醒ヶ井通の散策のお土産に、一品買い求めてみてはいかがでしょう。

林龍昇堂

〒604-8258

京都市中京区三条通堀川東入橋東詰町15

075-221-2874(FAX 075-251-1358)
午前9時~午後7時
日曜日
http://hayashi-ryushodo.com
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