一日散策 関西歴史紀行 【麩屋町通 Fuyacho】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN18 麩屋町通 Fuyacho

PLAN18 麩屋町通 Fuyacho
PLAN18 麩屋町通 Fuyacho
PLAN18 麩屋町通 Fuyacho
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 麩屋町通……五条通から丸太町通の間、南北に延びる通りです。麩屋町の名は、通りに沿って「麩」を商う店が軒を連ねていたからといわれていますが、現在、この通りを歩くと「麩の店」を見かけることはありません。

 麩は、室町時代の初め、中国の明から渡来した禅の僧侶によってその製法がもたらされたといわれていて、豆腐と共に精進料理のひと品として京都でよく食べられるようになりました。茹でた生麩、焼いて仕上げた焼き麩をはじめ、揚げたものや乾燥させたものなど食感の違う麩があり、私たち日本人にはなじみ深い食材です。

 寺の僧侶たちのたんぱく源として様々な調理法が生み出された麩は、京都の名水を使って作られた京料理に欠かせない食材。京都御苑に南側のエリアは地下水の宝庫ともいえる区域で、かつては酒造り、豆腐などの店が多く営まれていたそうです。京都の町の地下には、琵琶湖の水量より多くの水が満々と貯められているといわれ、井戸を掘れば清らかな水が豊かに涌き出ます。酒や食材、茶道が発達したのも、地下の名水のおかげなのでしょう。

 今はもう麩の店がないものの、今も麩屋町通としてにぎわっています。

 元来この通りは、平安京建都の際に造られた富小路にあたるといわれていますが、現在、富小路通は麩屋町通の一本西の通りであることから、歴史の大きな流れの中で、名称が入れ替わってしまったのでしょう。

 応仁の乱で京の町が荒廃した後、豊臣秀吉が京都を大改造します。その時に、麩屋町通も造成整備されます。押小路通下ルに「白山神社」が建てられていることから、白山通という別名もあります。今回の散策でも、白山神社をご案内します。

 今回は、京都御苑の南側、丸太町通を起点にして麩屋町通を南下(下ル)しながら、途中、「京の台所」である錦市場などに寄り道し、五条通を東に歩いて鴨川を渡り、京阪電車「清水五条駅」まで散策してみましょう。

大福寺

「大福帳」の発祥地、大福寺

 麩屋町通二条上ルに、大福寺という小さな寺院があります。由緒書によると、推古天皇の時代(593~628)に、大和国(奈良県)宮田郷に建立された後、平安時代初期に京都へ移り、七堂の伽藍を持つ大きな寺院であったそうです。1788年の天明の大火で炎上したことによって現在の規模になったとあります。

 幕末には勤王の志士である梅田雲濱が仮住まいしたものの、井伊直弼の安政の大獄によって橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎などと共に捕らえられた人物です。

 大福という縁起の良い名であることから、商家の出納帳にこのお寺の宝印を授与する習わしがあり、「大福帳」の由来となっているとか。商売繁盛を願う人はぜひお参りしたいものですね。

瑠璃光山利生院大福寺

〒604-0963

京都市中京区麩屋町通二条上ル布袋屋町498番地

 
白山神社

白山神社

 押小路通を少し下がったところにある白山神社は、平安末期に加賀国白山の僧が上洛し、神輿による強訴(ごうそ/主張を訴えること)をおこなうが受け入れられず、神輿を置いて帰郷します。その後、神輿を祀ったことからこの社が興りました。

 江戸時代の中頃には、後桜町天皇(最後の女性天皇)が歯痛となり、白山神社に詣でた女官が持ち帰った神箸と神塩を用いたところ、たちまち治ったという伝説があります。現在も歯科医師がお参りに来ることが多いとか。

 日本では古来、女性はお歯黒をする習慣がありましたが、お歯黒は虫歯予防にもなっていたそうです。後桜町天皇は、あまりお歯黒が好みではなかったのかもしれませんね。

白山神社

堀野記念館

〒604-0943

京都市中京区麩屋町通押小路下る上白山町243

御祭神:菊理比売
ご利益:歯痛平癒
 
麩屋町通
麩屋町通麩屋町通

老舗旅館が居並ぶ麩屋町通

 御池通を越えると、二軒の老舗旅館が軒を連ねています。麩屋町通の西側が「柊家旅館」で、東側が「俵屋旅館」で、いずれも長い歴史を持つ高級旅館です。これまで多くの文人墨客が訪れ、優雅なひとときを過しています。今回、その内側までご紹介することはできませんが、一度投宿してみてもいい旅館でしょう。

六角通

六角通を下っていくと……

 麩屋町通と六角通の交差するあたりは緑のある児童公園があり、そこから少し下がったところ、壁に埋もれるようにして、一本の石碑が建っています。「八文字屋自笑邸跡」とあり、八文字屋自笑という江戸中期の浮世草子出版者の邸宅跡地です。

 わが国の出版業は江戸初期に京都からはじまり、その後、江戸や大坂に広まります。当初は仏書や漢詩文書などでしたが、やがて俳諧書や遊芸の書なども出版され、庶民の読書熱を高めます。日本は文字の読み書きができる庶民が非常に多かったのです。

 八文字屋では、二代目になると歌舞伎芝居の筋書きを読み物にした「絵入狂言本」や「役者評判記」などを発行し、大衆本も多く発行して評判を呼んだそうです。本好きな人にとってはちょっとした聖地かもしれませんね。

 また、石碑の前には緑の蔦に覆われた洋館が建っています。京都には町家だけでなく、レトロな雰囲気を放つ洋館もあちこちで見かけます。和洋折衷、新しいものが好きな京都人は、いいものであればどんどん取り入れてしまう自由で貪欲な精神があるのだと気づかされます。

錦市場

錦市場はいつも大にぎわい

 「京の台所」である錦市場は、鮮魚や京野菜、加工品などの食料品を中心とした専門店街で、起源は平安時代にまで遡ります。この界隈も湧き水が豊富で、それを活用して海で獲れた魚や淡水魚などを御所へ納める業者が集まり、形成したのが始まりです。

 カラフルな天井を持つアーケード街で、東西約400m、商店の数は130店あり、狭い道幅にはいつも大勢の買い物客や観光客でにぎわっています。販売されている商品はどれも本物で、幾分高価なものも多いが、老舗旅館や料理店なども錦市場で仕入れていることから、本物を味わうなら錦市場へ行けといわれているとか。

 錦市場が最もにぎわうのが年の暮れ。おせち料理の材料を求めて、京都人が数多く詰めかけ、良い食材を買い求めます。この日ばかりは観光客も小さくなっているようですね。

 人波にもまれながら、錦市場を探索して、土産物を見つけるのもいいでしょう。

麩屋町松原通界隈
麩屋町松原通界隈麩屋町松原通界隈

麩屋町松原通界隈

 松原通は平安京建都当時には「五条大路」であり、道幅24mもの大路だったそうです。『源氏物語』で描かれている五条大路は下町風情が漂っていますが、清水寺への参道でもありました。牛若丸と武蔵坊弁慶の出会いは五条大橋の上、と言われていますが、実際は松原橋であったと、街の由来書には書かれています。昭和30年頃までは、松原通を祇園祭の山鉾が巡行するなど、由緒ある地域であることが分かります。

 その松原通にある「明王院不動寺」は真言宗東寺派に寺院で、それまで法相宗であったのが、弘法大師が自作の「石仏不動明王」を安置してからは真言宗となったそうです。

 平安京遷都の際、桓武天皇は王城鎮護のため東西南北4つの磐座(いわくら)に経巻を納めましたが、その一つが明王院で、「南岩倉」と呼ばれたそうです。

 天正年間、豊臣秀吉の聚楽第建設に伴い、明王院から本尊不動明王を得て聚楽第に収めたところ、夜な夜な不可思議な妖光を放ったことから霊験を感じ、この地に堂舎を建ててふたたび泰安したという伝承が残っています。

 穏やかな雰囲気が漂う境内に足を踏み入れて、ご挨拶をしたいものですね。

明王院不動寺

〒600-8047

京都市下京区松原通石不動之町

 
石門心学脩正舎

石門心学脩正舎

 五条通を少し上がったところに、朝日神明宮という小さな社があり、その横に「石門心学脩正舎」の石碑が建っています。江戸時代の思想家・石田梅巖の弟子である手島堵庵(てじまとあん)によって開かれた講義場です。本来は五条東洞院東入ルの地にあったものが、天明の大火で焼失。文政10年(1827)に柴田鳩翁(しばたきゅうおう)が復興させ、明治44年(1911)に孫の謙堂が現在の地に移築しました。

 明倫舎や時習舎と共に、脩正舎は心学講舎の拠点でした。昭和40年代まで毎月一度、講話が開かれていましたが、現在はこの石碑だけになっています。

 すぐ横にある朝日神明宮は、ビルの間に鎮座する小さな宮ですが、本来は広大な敷地を持つ神社でした。創建は京都府亀岡市で、貞観年間というから1000年以上も前のこと。戦国時代に現在地に移転してきました。

 ここは「幸神(さいのかみ)」の森」とも呼ばれていて、竈神社、稲荷社、祓川舎、恒情神社、人丸社、飛梅天神、八幡春日社、猿田彦社の8社がありましたが、現在残っているのは猿田彦社(幸神社)だけとなっています。

 京都市内にはこうした小さいけれど由緒があり、地域の人々に大切にされている神社が数多くあります。地域の子供たちを守るお地蔵さんと同じく、京都人がずっと大事にしているものです。

石門心学脩正館/朝日神明宮

〒600-8059

京都市下京区下鱗形町/麩屋町通五条上ル

 
五条大橋

五条大橋を渡って

 車の往来の激しい五条通に出てきました。烏丸通以東が国道8号線、以西は国道9号線と呼ばれる幹線道路ですが、舗道も広く作られていますので、安心して歩くことができます。

 東へ向かって歩くと、河原町五条の大きな交差点があり、それを越えると鴨川が見えてきます。実際は、松原橋で出会ったといわれる源義経と武蔵坊弁慶ですが、歌では「♪~京の五条の橋の上~♪」となっていますね。

五条大橋
清水五条駅

帰りは京阪電車「清水五条駅」から

 大阪方面に帰るなら、京阪電車で帰るのが便利です。京都駅へは、市バスに乗れば10分程度で到着します。

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