一日散策 関西歴史紀行 【冷泉通 Reisen】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN019 冷泉通 Reisen

冷泉通 Reisen
冷泉通 Reisen
冷泉通 Reisen
冷泉通 Reisen冷泉通 Reisen

 「冷泉通(れいせんとおり)」は、「関西歴史紀行」の「夷川通篇」で書きましたように、平安京の冷泉(れいぜい)小路の名残を残す通りです。

 夷川通が鴨川に行きあたったところに以前は橋が架けられ、その敷石が残っていました。しかし、昭和10年の鴨川洪水で橋が流された後、鴨川の東岸から東山の白川通あたりまで延びている通りを「冷泉通」と呼んでいます。本来は、夷川通の延長であると考えられますが、今はこの「冷泉通」の名で親しまれています。

 冷泉とは、二条城築城以前にあった大内裏の南東角の冷泉院の前を通る道であったことから冷泉小路と名づけられ、この小路沿いに住んでいたことから、冷泉家の名が出たと伝えられています。

 和歌で有名な冷泉家は。元来御子左(みこひだ)家から二条、京極、冷泉の三家に分かれ、藤原為家の子である為相(ためすけ)が祖であり、鎌倉から関東地方に勢力を誇っていましたが、やがて京都にも影響力を与えるようになり、江戸時代になってもその門流は繁栄しました。

 現在、「冷泉通」は、京阪電車の「神宮丸太町駅」の2号階段出入り口が最も近く、少し南に向かって歩くと、琵琶湖からの疎水の流れを見つけることができます。この疎水に沿ってなつかしい小径が造られています。

 明治維新により首都が東京に移され、近代化に立ち遅れるのではと不安を抱いた京都市民は、琵琶湖から水を引き、上下水道や工業用水、水力発電などに活用します。そして、発電された電力が市電を走らせ、明治の御一新後の京都は活気を取り戻します。この疎水建設工事を取り仕切ったのが、技術者の田辺朔郎(1861~1944)で、その確かな技術力で琵琶湖疎水を完成させます。田辺弱冠22歳の青年でした。

 今回歩く疎水は造られてから100年以上の年月を経て、歳月が作り出す、穏やかで心地よい風情を感じることができます。では、歩きはじめましょう。

疎水に沿って歩く
疎水に沿って歩く

疎水に沿って歩く

 京阪電車「神宮丸太町駅」の2番階段を出て少し下ルと、左手に美しい水の流れが見えてきます。琵琶湖疎水、鴨東運河と呼ばれています。春は桜、新緑の時季は眩しく、秋は紅葉が燃え、冬になると粉雪が舞う。水辺の風景はほぼ常に変わることがありませんが、周囲の風景が変化していくことで、同じ場所に見えなくなります。今回は夏の始まりの風景の中を歩きましょう。

 冷泉通は、川端通と交差するところから始まります。疎水脇の小径にはお地蔵様が建てられ、「疎水こみち」の石碑もあります。道はうねるように伸び、決して急いで歩く道ではないことがわかりますね。

 途中に架かる橋の上から上流を見ると水門が見えます。夷川発電所です。この疎水沿いには発電所が造られています。

銅細工の好々爺に出会う

銅細工の好々爺に出会う

 疎水の小径を歩いて行くと、道端で、銅線で造った細工物を並べた人物に出会いました。売り物ではなく、自分の楽しみで造っているのだそうです。話し好きで、なぜ自分はここにいるのかを面白おかしく話してくれます。いつもいらっしゃるわけではありませんが、もし偶然のめぐりあわせがよければ、この好々爺に出会うかもしれません。

銅細工の好々爺に出会う
水力発電所

水力発電所

 目の前に大きな池と、正面に煉瓦造りの建物が見えてきます。

 大正3年(1914)に建設された「夷川水力発電所」です。明治23年に琵琶湖疎水が完成し、その後、第2疎水が造られたとき、この発電所が建設されたのです。当初は、水車が英国ボービング社製の4連フランシス水車、発電機が米国ウェチングスチングハウス社製の同期発電機だったそうです。現在は国産の発電機によって稼働しているとか。

水力発電所

 池の対岸に銅像が建っています。京都府知事・北垣国道(1836~1916)です。第3代京都府知事として、発電、運河、灌漑、飲料水、防火、工業などに水利を用いることを提唱した人物で、若き技師・田辺朔郎を指名したのも北垣でした。ちなみに第2代京都府知事は、西郷隆盛の長男である西郷菊次郎(1861~1928)でした。菊次郎の時代から水利を活用したプランは計画されていたそうです。

「白河南殿跡」の石碑

「白河南殿跡」の石碑

 平安時代から室町時代にかけて、岡崎には法勝寺(ほっしょうじ)という寺院がありました。白河天皇が建立したもので、寺院近辺に政治をおこなう御所と、北殿と南殿を建てます。「白河南殿跡」は、この疎水近くにあったと伝えられ、白河天皇はここで新しい院政政治をはじめたのです。そのため、この界隈は非常に賑わい、繁栄します。
 ところが後年、皇位を巡って後白河天皇と崇徳上皇が対立し、保元の乱が勃発します。院政期の栄華を極めた建物はやがて焼失し、武士の時代の跫(あしおと)が聴こえだします。
その名残ともいうべき「白河南殿跡」が、疎水沿いにひっそりと建っています。

東大路通上ルにあるベーグル専門店
東大路通上ルにあるベーグル専門店

東大路通上ルにあるベーグル専門店

 疎水の小径が東大路通と交わるところを少し北へ上ルと、白い扉のすてきなお店が見えてきます。「ブラウニーブレッド・アンド・ベーグルズ」という、ブラウン系のパンとベーグルの店。元々、北大路通の商店街で営業をスタートさせましたが、2016年3月に現在地に移ってきました。

 店長の山崎耕二さんは若い頃からアメリカ文化が好きで、音楽から食べ物までアメリカンテイストにこだわってきました。しかし、ベーグルは日本でも知る人が少なかったことから、趣味でベーグルを作り、友人に配っていたそうです。それがあまりに評判なので、自分で店を出そうと一念発起、30歳のときに、店を立ち上げました。

 普通、ベーグルといえば固いパンという印象がありますが、ここのベーグルは柔らかくてもっちりとした食感。たくさんの種類があるベーグルの中から、今回は「チョコベーグル」、「きな粉餅あんベーグル」、「ゴルゴンゾーラ蜂蜜クルミベーグル」、「レモンクリームチーズチョコベーグル」、そして「溜まり醤油漬けクリームチーズとドライトマトとジャガイモのフランスパン」の5品を選びました。岡崎公園の芝生の上で、そよ風に吹かれながらいただきたいですね。

ブラウニーブレッド・アンド・ベーグルズ

〒606-8392
京都市左京区聖護院山王町28-30
075-761-9305
得長寿院跡の石碑

得長寿院跡の石碑

 東大路通に架かる徳成橋から疎水を眺めながら、小径に戻りましょう。
すると、「得長寿院跡」という石碑に出会います。

 平安時代末期の天承2年(1132)、平清盛の父・忠盛が鳥羽上皇のために建造寄進した「得長寿院」がここにあったことを示しています。鳥羽上皇はこれを大いに喜び、忠盛は出世し平氏が力を持つことになります。

 建造物の規模は大きく、現在の三十三間堂(蓮華王院)と同等であると伝えられています。疎水が造られるずっと昔、この辺りに大きな寺院があったとは驚きです。建物は文治元年(1185)7月に発生した文治地震によって倒壊し、再建されませんでした。

 この時の地震は、断層の炭素年代測定によると、琵琶湖西岸断層帯の南部の活動によるものだという調査があります。この地震では、京都にある多くの建造物が倒壊したようです。

平安神宮へ

平安神宮へ

 岡崎で、疎水は南方向に直角に曲がっています。流れはこのまま南禅寺から蹴上方面へと続いていきます。

 岡崎には、大きな鳥居を持つ平安神宮が鎮座されています。明治28年(1895)、平安遷都1100年を記念して内国勧業博覧会が開催されました。内国勧業博覧会とは、国力高揚のための博覧会で、大久保利通の肝いりで始まり、東京3回、大阪、京都が1回ずつ、計5回開催されました。

平安神宮へ

この時、京都での目玉として建てられたのが、平安京の大内裏の一部復元計画でした。本来は大内裏跡の千本丸太町付近に朱雀門が建設される計画でしたが、用地確保がうまくいかず、現在の地に建立されました。

 平安神宮は、桓武、孝明天皇を祀る神社で、国の名勝の神苑は東、中、西、南と分かれた池泉式回遊庭園で、四季の花が咲き誇っています。

 散策の途中、立ち寄りたいものです。

平安神宮

〒606-8341
京都市左京区岡崎西天王町97
075-761-9305
通年:9時~15時半
白川通へ

白川通へ

 冷泉通をさらに東山の方向に進むと、示現山満願寺という寺院があります。
天慶3年(940)、菅原道真の乳母にあたる多治比文子が、道真を追悼するために建てたといわれ、北野朝日寺の最珍(鎮)を開山としています。当初は真言宗でしたが、元禄10年(1697)に日蓮宗となり、西ノ京(中京区の西あたり)から現在の地に移転してきました。

白川通へ

 城郭を思わせる豪壮な建築物は、日蓮宗寺院特有の変化に富んだ見事な造形となっています。

 境内にある「文子天満宮」は、祭神として菅原道真をお祀りしています。

示現山満願寺

〒606-8333
京都市左京区岡崎法勝寺町
 
平安神宮へ

 さらに東山方向に進むと、白川通へと行き当たります。その少し手前に「白川」が流れています。琵琶湖から流れて来る清流で、流域は花崗岩を含んだ礫質砂層であることから石英砂が流され、白砂が敷かれているように見えることからこの名がつけられました。

 白川をたどりながら、丸太町通と白川通が交差する天王町を越え、吉田山あたりまで足を延ばしましょう。

 京都市内には、吉田山(神楽岡とも呼ばれる)と北区の船岡山、右京区の双ヶ岡の小高い山が3つあり、平安京の「葛野三山」と呼ぶ説もあります。奈良の天香久、畝傍、耳成の「大和三山」を意識しているのかもしれませんね。

 吉田山の登り口近くに「真如堂」の石碑が見えます。

 吉田山の西側には「吉田神社」があり、そこから京都大学のキャンパスが広がっています。「真如堂」は山の南側にあり、金戒光明寺と並び、町中の寺院とはまた違った、隠棲の地の雰囲気を作り出しています。この界隈については、また別の機会にご案内できればと思います。

帰り道は……

白川通の「真如堂前」バス停から京都市営バス5系統に乗れば阪急河原町やJR西日本、近鉄の京都駅に行けます。他にも多くの系統バスが出ています。

関西城紀行TOPにっぽん紀行TOP
《 広告に関するお問い合わせはこちら 》
株式会社日豊社
〒530-0044 大阪市北区東天満1丁目12番13号 IAG天満ビル
TEL 06-6357-3355 FAX 06-6357-3406

PAGEトップへ