一日散策 関西歴史紀行 【大和大路通から松原通、清水さんへ Yamatooji】

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京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN21 大和大路通から松原通、清水さんへ Yamatooji

大和大路通から松原通、清水さんへ Yamatooji
大和大路通から松原通、清水さんへ Yamatooji
大和大路通から松原通、清水さんへ Yamatooji
大和大路通から松原通 Yamatooji大和大路通から松原通 Yamatooji

 京都では、夏8月13日から五山の送り火までの16日の盂蘭盆(うらぼん)の間、ご先祖様の御霊を祀る報恩供養が執り行われます。その時季の少し前、8月の7日から10日まで、御霊をお迎えするためのお出迎え儀式が「六道(ろくどう)まいり」で、「お精霊(しょうれい)さん迎え」とも呼ばれています。

 御霊をお迎えするために向かうのは、「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」。松原通の鴨川から東岸のエリア、「六道の辻」と呼ばれるあたりです。 この界隈には「鳥辺野(とりべの)」という広大な墓地があり、この世とあの世をつなぐ冥界の出入り口と昔の人は考えていました。お盆になって冥土からこの世に戻って来るご精霊たちは、かならずこの辻付近を通ると考え、お迎えに上がるのです。

 京都にはこの「鳥辺野」のほかに、西の「化野(あだしの)」、北の「蓮台野(れんだいの)」が平安時代以降、三大墳墓地として定められています。「化野」は、「悲し」「儚し」といった語源と同じを持ち、「蓮台野」へ続く道が「千本通」というのは、卒塔婆が1000本(数が多いことの喩え)建てられていたことに由来しています。いずれの墓所も火葬や土葬ではなく、遺体を野に晒す風葬でした。「鳥辺野」は、その名前から鳥に啄まれる鳥葬が多かったのかもしれません。

 今回は、「六道まいり」の道をめぐり、その途次にある寺院、神社などを訪ね、「幽霊子育て飴」という不思議な飴屋さんに立ち寄り、終着点として清水寺の前まで歩いて行きます。京阪電車の「祇園四条駅」を起点に、大和大路通から松原通に入り、清水坂をゆっくりと登っていくコースです。

 黄泉の国に暮らすなつかしい人たちが、お盆の前に元いたこの世の家に舞い戻るという都人の風習「六道まいり」。それをちょっと疑似体験してみましょう。

 京阪の「祇園四条駅」は鴨川に架かる四条大橋東詰の地下駅。橋のたもとには、歌舞伎発祥の「出雲の阿国」の像が建っています。阿国さんにご挨拶をして、いざ歩き出しましょう。

目疾地蔵の仲源寺さん

目疾地蔵の仲源寺さん

 南座の前、四条通を東へ、八坂の石段下方面に少し進み大和大路通を少し越えたところに「仲源寺」という浄土宗のお寺があります。にぎやかなお店が居並ぶなかに突如、寺院が口を開いている風景は、京都ならではのもの。本尊は地蔵菩薩で、目疾地蔵とも呼ばれ、眼の病気に霊験があるそうです。外国人の観光客もふらりと訪れています。

目疾地蔵の仲源寺さん

仲源寺

〒605-0074
京都市東山区四条通大和大路東入ル祇園町南側585-1
午前7時~午後8時
拝観料:無料
建仁寺の西門

建仁寺の西門

 大和大路通を下ルと、建仁寺の西門が見えてきます。臨済宗建仁寺派の大本山で、日本に臨済の教えを伝えた栄西(1141~1215年)が開山しました。京都五山の第3位に列せられ、東山に聳え建つ「八坂の塔」はこの寺の末寺でもあります。
 有名な「風神雷神図」(俵屋宗達)など貴重な文化財を所蔵し、展覧会などもよく開催されています。境内には池泉回遊式庭園があり、立ち寄る価値は充分です。地元の人達は「けんにんじ」とは言わず、「けんねんさん」と親しみを込めて呼んでいます。

建仁寺

〒605-0811
京都市東山区大和大路四条下る四丁目小松町584
京都ゑびす神社

京都ゑびす神社

 西宮、大阪今宮神社と並んで、日本三大ゑびすといわれる京都ゑびす神社が、大和大路通沿いに鎮座されています。「えべっさん」の名で親しまれ、家運隆昌、商売繁盛の神様として篤い信仰を集めています。
 京都ゑびす神社は、栄西禅師が建仁寺を建立した際の鎮守社として、およそ800年前にこの地に建てられたもので、毎年1月の8日から13日までの5日間、「初ゑびす」の祭りで大いににぎわいます。「商売繁盛で笹もってこい」の掛け声の笹は、「まっすぐに伸びる」「折れない」「葉がよく繁る」ということから、商売をする者に有難い品なんだそうです。ご挨拶がてら、お参りしたいですね。

京都ゑびす神社

〒605-0811
京都市東山区大和大路通四条下ル小松町125
 
摩利支天堂
摩利支天堂摩利支天堂

摩利支天堂

 京都ゑびす神社の少し南に、「摩利支天尊堂」という美しいたたずまいの建物が見えてきます。建仁寺の塔頭「禅居庵」という寺院で、開運勝利の御利益がある摩利支天がまつられています。
 摩利支天はサンスクリット語で「陽炎」を意味する「マリーチ」を漢字にしたもので、「陽炎」は捕まえることができないので、戦国武将に好まれ、楠木正成や前田利家の兜のなかには、摩利支天の小さな像を入れて戦いに臨んだそうです。
 建仁寺の塔頭であることから、建仁寺との間に「ゆずりあいの小道」という通路があり、この小径が実に風雅。通り抜けるだけで気持ちが清々しくなるようです。

建仁寺塔頭・禅居庵「摩利支天堂」

〒605-0811
京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町146
 
松原通へ(愛宕念仏寺の石碑)

松原通へ(愛宕念仏寺の石碑)

 大和大路通を松原通で右折し、東山の方向に向かって進みます。この通りは松原通で、西は右京区の佐井西通あたりから清水寺門前まで続く長い通りです。
 松原通を進むと、「愛宕念仏寺元地」という石碑に出会います。現在は、右京区嵯峨の鳥居本にありますが、本来はこの地にありました。
 醍醐天皇の勅願により、延喜11(911)年に伝燈大法師千観(918~83)の開基した愛宕念仏寺。千観は空也上人より念仏を教えられ、念仏上人と呼ばれたことから、念仏寺の名が生まれました。
 嵯峨野の念仏寺という印象が強いのですが、嵯峨野に移転したのは大正11年のことだそうです。

六道の辻

六道の辻

 「六道まいり」の六道珍皇寺の手前に「六道の辻」なる碑が建っています。「六道」とは、「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」の6つの道をいい、人がこの世に生まれ、生涯を送る上でさまざまな業をなし、その結果、死んで輪廻転生する6つの世界があるという仏教の思想です。
 「天道・人間道」を「善道」、「修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」を「悪道」と区分されることから、生きている間に悪行をおこなわないよう衆生に教えたのです。

幽霊子育飴本舗
幽霊子育飴本舗幽霊子育飴本舗

幽霊子育飴本舗

 六波羅蜜寺へと続く辻に、「幽霊子育飴」という不思議な看板のお店があります。

 由来によりますと、慶長4年(1599)に、いつもこの店に飴を買いに来ていた女がいましたが、亡くなってしまい墓に埋葬されます。それから10日あまりして、埋葬地の土中から赤ん坊の泣き声がするので掘り起こしたところ、亡くなった女が生んだ赤子であることが判明します。
 女が亡くなってから何度も、夜になると影の薄い女が飴を買いに来たことを店子は思い出します。女は亡くなったあの女なのです!女は三途の川の渡し賃である六文銭を一文ずつ出して飴を買いに来ては、土中の赤子に食べさせていたのです。そして、六文銭を使い切ると、木の葉(しきみという葬儀の葉)を置いていったともいわれています。やがて見事に成長した赤子は、立本寺第二十世・霊鷲院日審上人となったといわれています。  子を思う母の思いは、死してものちも温かく深いものだということを教えてくれますね。ぜひ散策途中の潤しに「幽霊子育飴」を買い求めたいものですね。漫画家の水木しげるさんもこの不思議な名前の飴を愛したそうですよ。
 ちなみにお店の名前は「みなとや」といい、もともと日本海沿いの敦賀の港近くで商いを興したことに由来します。江戸時代以前に京都に出て、出町柳で店を開きます。そのとき、近くにあったのが立本寺で、上京区七本松にある立本寺でも、この「幽霊子育飴」が販売されています。

みなとや幽霊子育飴本舗

〒605-0813
京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町
80番地の1
午前10時~午後4時
年中無休
六道珍皇寺

六道珍皇寺

 いよいよ、「六道まいり~精霊迎え」の入口である六道珍皇寺が見えてきました。山号を大椿山といい、臨済宗建仁寺派の寺院です。本尊は、伝教大師最澄作と伝えられる薬師如来で、閻魔堂には、弘法大師、小野篁、閻魔大王の三像がおられます。
 謡曲「熊野(ゆや)」の清水詣の一節に「愛宕の寺もうち過ぎぬ、六道の辻とかや、げに恐ろしやこの道は、冥途に通ふものなるを」と謡われています。まさにこの地が、死者をあの世に送り出した野辺送りの地であったのです。
 そこに建つ六道珍皇寺。小野篁が閻魔大王のもとへ通ったという井戸もあり、ぜひ拝観してみたいものです。

六道珍皇寺

〒605-0811
京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
 
東大路通を越えて清水坂へ

東大路通を越えて清水坂へ

 東山方向に歩くと、まもなく交通量のはげしい東大路通が交差しています。これを渡ると、大勢の観光客がそぞろ歩く坂道が続いています。「清水坂(きよみずざか)」です。多くの観光客が清水寺をめざして歩き、沿道には土産物屋や食事処などが軒を連ねています。「清水坂」は松原通の延長です。約1・2キロの坂道をゆっくり登っていくと、途中、五条坂で合流します。比較的新しく造られた道で、中世までは八坂の塔から産寧坂を経て、経書堂(きょうかくどう)から山側へ向かう道が、清水寺への参道でした。

清水寺の前で

清水寺の前で

 いよいよ今回の散策の終着点、清水寺の仁王門が見えてきました。三間一戸の楼門で、入母屋造、檜皮葺(ひわだぶき)で、鎌倉時代末期作の金剛力士(仁王)が立っています。
 背景には、高さ30メートル強の三重塔が聳え立っていて、仁王門と合わせて見事な風景を作り出しています。石段の下あたりから写真を撮るのがいいですね。
 時間が許せば拝観するのもいいでしょう。清水の舞台で知られる本堂は現在工事中で、終了予定は2021年となっています。

清水寺

〒605-0862
京都府京都市東山区清水一丁目294
 
鳥辺野からの見渡し

鳥辺野からの見渡し

 清水寺仁王門を右に行くと小さな茶屋があり、その向こう側に階段があります。そこまで足を運ぶと、見晴らしのいい風景が広がっています。「大谷祖廟」と呼ばれる広大な墓地です。江戸時代までは「大谷御坊」と呼ばれ、古くから墓所でした。この付近が「鳥辺野」であるかどうか、詳しいことはわかっていないようです。
 遠くに京都タワーや教王護国寺(東寺)の五重塔まで見渡せます。吹いてくる風を身体に受けると、散策の疲れも少しは癒されるのではないでしょうか。
 帰路は、清水坂を下り、五条坂から京阪電車「清水五条駅」まで行くか、東大路通で市バスに乗ると、京都駅や祇園四条に行くことができます。

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