一日散策 関西歴史紀行 【大黒町通 Daikokumachi】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN01 大黒町通 Daikokumachi

大黒町通 Daikokumachi
大黒町通 Daikokumachi
大黒町通 Daikokumachi
大黒町通 Daikokumachi大黒町通 Daikokumachi

 大黒町通(だいこくまちどおり)は、南は七条通から、北は松原通までの比較的短い区間の通りで、京都市民の生活道路として行き来があります。通りはすべて東山区内にあり、一本二本、東西に進むと東大路通など京都の幹線道路があり、明治30年(1897)に開館した京都国立博物館や、豊臣秀吉公を祀る豊国神社、五条通を越えたあたりからは清水寺から八坂の塔方面へ行くことができます。

 通り名の由来は、この通り沿いにある「寿延寺(じゅえんじ)」の「大黒天様」に由来します。五条通から南は、七条界隈、正面通にある「耳塚」の名を取って、「耳塚通」とも呼ばれることがあります。

 決して観光的な、名所旧跡が居並ぶ通りではありませんが、歩いていると素顔の京都を垣間見ることができます。古くから職人さんが多く暮らしていて、扇などを作る小さな町家工場や、酒屋さん、塗師などの家々が連なります。歩いていると、この通り沿いに暮らす人たちから気さくに話しかけられることもあり、庶民の町という印象があります。
 また、「あじき路地」という、若者の豊かな発想力と創造力を培う長屋が通り沿いにあり、新しい文化や工芸が発信されています。

 今回の出発起点は、京阪電車「七条駅」です。駅を出て東山方向に進むと右手に三十三間堂、東山七条の突き当りには美しい庭園の智積院が見えます。そして、その近くには京都女子大学・高校・中学校のキャンパスがあり、七条駅から多くの学生たちが通学しています。智積院と隣の妙法院の間にある坂道は「女坂」として有名で、男性が歩くのは少し面映ゆい気もします。

 では、歩き出しましょう。

七条通の老舗料理店「わらじや」

七条通の老舗料理店「わらじや」

 七条通は、平安京建都の際に造営された「七条大路」にあたる古道で、智積院のある東山七条と、西は葛野大路通を越え、山陰街道までつながる長い通りです。
 智積院や三十三間堂、養源院、妙法院をはじめ、秀吉公が奉られる阿弥陀ヶ峰・豊国廟など、多くの寺院があることから、通りには土産物屋や料理店が店を開いていて、歩く私たちに古き良き時代の雰囲気を伝えてくれます。
 「わらじや」は、うなぎの雑炊「うぞふすい」が美味しい老舗で、創業はなんと寛永元年(1624)。江戸初期からこの地で営業しています。

豊国神社への道標

豊国神社への道標

 七条通と大和大路通の角に、豊国神社への道標の石碑が建っています。これを目印にして、大和大路通を北へ上りましょう。本来の大黒町通は、大和大路通の一本西側に延びていますが、ちょっと寄り道をしてみましょう。

京都国立博物館正門

京都国立博物館正門

 歩いていると、広い敷地に巨大な門構えが見えてきます。京都国立博物館です。

 平安時代から江戸時代までの京文化に関する文化的史料や文化財を所蔵・展示し、研究などをおこなっています。開館は1897年ですが、東京には1872年に博物館が完成していて、帝国博物館と呼ばれていました。1889年に宮内大臣の通達により、京都と奈良に帝国の博物館設立があり、帝国京都博物館として開館したものです。
 明治の気風を湛えた荘厳な門構え。その前に立つだけで、当時の政府が文化財をいかに重要な財産だと考えていたことがうかがい知れます。
 赤いレンガに触れると、レンガの持つザラザラとした感触ではなく、すべすべとした快い感触が手に伝わってきます。磨き上げられたレンガで、建設の意気込みが感じられます。ぜひ、レンガに触れてみてください。そして、時間が許せば入館することをお勧めします。

京都国立博物館

〒605-0931
京都市東山区茶屋町527
豊国神社
豊国神社豊国神社

豊国神社

 京都国立博物館の隣にあるのが、豊国(とよくに)神社です。創建は慶長4年(1599)で、その前年の8月18日に亡くなった豊臣秀吉公をお祀りしています。
 秀吉公の死は当時の政局に鑑みて伏せられていたことから、豊国神社の前身である廟所は、方広寺の大仏の鎮守社創建と称して建設されました。当初は秀吉公が埋葬された阿弥陀ヶ峰の中腹に建てられたそうです。
 創建当時の社の姿は非常に荘厳であったと伝えられていますが、大坂の陣が終わった後、豊臣家を懼れる徳川家康の手によって神号を排され、江戸期は不遇の時期を過ごします。
 しかし、明治の代になり、明治天皇行幸の際に秀吉公が天皇に対して敬いの篤い心を抱いていたとして再興を命じ、現在の地に社殿が造営されました。この地はもともと方広寺があった場所です。方広寺には、奈良の大仏の大きさを上回る規模の大仏が造られ、人々から「京の大仏っさん」として親しまれていました。秀吉公が造ってから代を重ね、江戸天保年間に4代目大仏が造られましたが、惜しくも昭和48年(1973)に焼失してしまいました。

 豊国神社は「とよくに」と読みますが、大阪城内にも豊国神社があり、こちらは「ほうこく」と読みます。京都の豊国神社では、秀吉公を主祭神としているのに対し、大阪の豊国神社は秀吉公を主祭神に、秀頼公、秀長公が配祀されています。

 豊臣家の馬印(戦国時代、戦場で武将が自分の所在を示すために馬や長柄の先端につける印のこと)が「ひょうたん」であったことから、境内ではひょうたんが育てられています。秀吉公は戦に勝利するたびに「ひょうたん」の数を増やしていったことから、「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」という呼び名が生まれました。

 宝物殿には、秀吉公ゆかりの品々が展示されていますので、ぜひ立ち寄りたいものですね。

豊国神社

〒605-0931
京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530
075-561-3802
宝物館午前9時~午後4時30分(受付終了時間)
入館料300円
耳塚

耳塚

 豊国神社門前に「耳塚」と呼ばれるこんもりとした塚があります。秀吉公の朝鮮出兵、いわゆる文禄・慶長の役の際、日本の兵が朝鮮・明の兵を打ち破った戦功として、相手方の耳や鼻を削ぎ取ったものを葬ったものです。
 今の世の中からみると大変残酷な所業と思いますが、戦国時代の戦さでは敵方の首を取って持ち帰ることがおこなわれていて、遠い大陸から首を持ち帰るのは困難であったことから、耳や鼻を持ち帰ったのです。当初は「鼻塚」と呼ばれていましたが、林羅山が「耳塚」と書き改め、以来この名前が定着しました。
 築造されたのは慶長2年(1597)のことで、以来何度も改修されますが、大正4年に周囲の石の柵が歌舞伎役者の片岡仁左衛門や役者の川上音二郎など芸能者の寄付によって建立されました。
 負の遺産ともいえますが、前を通りかかったら、そっと手を合わせたいですね。

大黒町通へ
大黒町通へ大黒町通へ

大黒町通へ

 では、本来の道である大黒町通に戻りましょう。車両は南行きの一方通行となっている大黒町通。ところどころで鉤状になっているところがあり、真っ直ぐな道を造るより難しそうに思えますが、さまざまな事情があるのでしょう。
 通り沿いに稱名寺(しょうみょうじ)という浄土宗の寺院があり、美しい門構えに誘われて足を踏み入れると、本堂の前に「辨慶石」なるものを見つけました。牛若丸こと源義経と武蔵坊弁慶が、この石の上で酒を酌み交わしたといわれています。さて、どんな石なのかは、実際にご覧になってのお楽しみとします。

稱名寺

〒605-0000
京都市東山区大黒町通五条下ル二丁目蛭子町北組257
 
奥田潁川宅蹟の石碑

奥田潁川宅蹟の石碑

 大黒町通を歩いていると、「奥田潁川(おくだえいせん)宅蹟」という石碑を見つけました。

 奥田頴川は、宝暦3年(1753)から文化8年(1811)に活動した陶芸家で、通称「茂右衛門」、本名「庸徳」といいます。家系をたどれば、中国「清」の侵攻から日本へ逃れてきた「明」の民の末裔であったとか。
 潁川は本来、質屋を営む商人でしたが、番頭に任せて趣味の陶芸に入れあげます。清水焼の匠から技法を学ぶ傍ら、瀬戸の磁器を独学で学び、京焼としては初めて磁器を焼いたことで有名になります。趣味人であったことから、京都の焼き物にない新しい技法や絵付けに挑戦し、注目を集めます。
 若手陶芸家の育成にも尽力し、青木木米や仁阿弥道八などを輩出して、わが国の陶芸の歴史に貢献した人物です。その屋敷跡、果たしてどんな家であったのでしょうね。

奥田潁川宅蹟

〒605-0832
京都市東山区大黒町通五条上る東側
京都御所の横の小径

「あじき路地」

 道沿いに、魅力的な看板を見つけました。きれいな木の看板に書かれた「あじき路地」。

路地を覗き込むと、なつかしい町家の長屋が見えます。建築されてから100年以上の星霜を重ねたその佇まいは、いつかどこかで眺めたような既視感を感じます。

 「あじき路地」は、町家の大家である安食さんの名前から名づけられたもので、住人は若手のものづくりにいそしむ人たち。安食さんは、若い頃に七宝焼や彫金に魅せられたクリエイター。母上のサポートを受けてものづくりに励んだことから、今度は自分が若者をサポートする立場だと考えて、この町家長屋を若い人の創造工房にしようと思われたそうです。

 現在、ユニークなお店が軒を連ねていて、若い人たちが新しい発想でものづくりに励み、社会に発信しています。

 散策の途中、ふと立ち寄って、お店が開いていたら、興味あるところの戸をノックしてみたいものですね。

「あじき路地」

〒605-0831
京都市東山区大黒町通松原下ル2丁目山城町284
 
すずめ家、とことこ……というカワイイお店

すずめ家、とことこ……というカワイイお店

 「あじき路地」で、手作りで丈夫なノートを作っている「すずめ家」。作り主の村松佳奈さんは幼いころから「紙」が大好きで、マイはさみをいくつも持っていたそうです。そして、作り出したノート。立ったままでメモを取ることができるノートや、ポケットにすっぽりと収まるサイズ、とてもデリケートに扱いたくなるようなノートなど、さまざまな形のノートを作っています。
 「いつもそばにいて、さえずっている」そんなノートであってほしいから、「すずめ家」というお店の名前をつけたそうです。
 ふと立ち寄って、あなたの人生の断片を書き留めるノートを買い求めてみたいものですね。

手製本ノート、紙こもの すずめ家

〒605-0831
京都市東山区大黒町通松原下ル2丁目山城町284
あじき路地 北3号
平日不定期、土日祝
午前11時~午後6時
http://suzumeya.net
すずめ家、とことこ……というカワイイお店

 「あじき路地」で、クッキーの上にさまざまな色彩をデコレーションする、アイシングクッキーを中心に、焼き菓子を販売している「とことこ」。写真のような、舞妓さんや、がま口をデザインしたクッキーがお店に並んでいます。オーダー品や、イベント用の個性的なクッキーなども、店主の小林さんに依頼すれば作ってくれます。プレゼント用に化粧箱に詰めることもできるそうです。
 もちろん、クッキーの味も抜群。「あじき路地」に立ち寄ったときは、覗いてみたい一軒ですね。

とことこ

販売内容:アイシングクッキーを中心とした焼き菓子
土日祝(平日不定期営業)
午前11時~午後5時
https://www.instagram.com/tokotoko2017.9/
寿延寺
寿延寺寿延寺

寿延寺

 大黒町通の終点となる松原通のすこし手前に、寿延寺(じゅえんじ)という日蓮宗のお寺があります。通称「洗い地蔵(あらいぢぞう)」と呼ばれています。元和2年(1616)日柔上人によって創建されましたが、当初は富小路通高辻あたりにあり、1655年頃に移転してきたそうです。

 山門をくぐると石畳の参道が奥へと伸びていて、しばらくいくと右手に洗心殿があり、そこに「洗い地蔵」さんが安置されています。本来は、奥の本堂あたりにあったそうですが、多くの方がお参りに来られるため、現在の位置に移されたそうです。
 地蔵を名乗っていますが、実際は浄行菩薩という法華経にある菩薩で、水に縁があることから、衆生の煩悩や苦しみ洗い流し、病を治癒してくれる清らかな水の徳を持った仏様です。たわしで、自分の身体の悪いところをこすり、水で洗い流しながら、「南無妙法蓮華経」と唱えます。一度お試しあれ。

 奥に建つ本堂には、向かって右側に油湧大黒天(あぶらわきだいこくてん)、左側に鬼子母尊神(きしもそんしん)がおられます。大黒天はヒンドゥー教を出自とし、日本へは密教伝来と共に伝わってきました。軍神・武勇・戦闘の神であると同時に、富貴爵禄の神でもあったことから、豊臣秀吉、徳川家康にも信仰されました。財産に恵まれたいと思えば、ぜひともお参りしたいですね。

 この大黒天がこの地を護っておられるということから、通りの名前が「大黒町通」と命名されました。また境内にある妙見堂は、眼の病に御利益があります。

散策で、ぜひ立ち寄りたい寺院です。

寿延寺

〒605-0815
京都市東山区松原下ル北御門町254
075-561-7855
拝観時間:午前7時~午後5時
無休
宮川町の石畳

宮川町の石畳

 松原通に出たら左折して、宮川町方向へ進みましょう。宮川筋の二丁目から六丁目までが花街となっていて、美しい石畳の道が続いています。
 京都には5カ所の花街があり、上七軒、祇園甲部、先斗町、祇園東、そしてここ宮川町。歩いているとお稽古帰りの舞妓さんや芸妓さんとすれ違うかもしれませんね。

 ここから、京阪電車「祇園四条駅」はすぐです。

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