一日散策 関西歴史紀行 【不明門通 Akezu】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN01 不明門通 Akezu

不明門通 Akezu
不明門通 Akezu
不明門通 Akezu
不明門通 Akezu不明門通 Akezu

 不明門通と書いて、どう読むかお分かりだろうか。「ふめいもんどおり」というのが一般的な読み方でありましょう。だけど、地名などは省略されたり、由来をまとっていたりして、難読になるケースがあります。京都の地名には、こうした難読地名が結構多く見かけられ、例えば、「帷子ノ辻(からびらのつじ)」や「蚕ノ社(かいこのやしろ)」「車折神社」(くるまざきじんじゃ)」といった嵐山電車沿線の駅名や、京都市営地下鉄東西線の「御陵(みささぎ)」「蹴上(けあげ)」「椥辻(なぎつじ)」といった漢字の難しさや、読み方の難解さの地名がある一方、今回の「不明門通」のように、地域の歴史由来による難読地名もあります。

 「不明門通」は、「あけずどおり」と読みます。「門→明→不」ということから、「門が閉まっている」→「あかずのもん」→「あけずのもん」→「あけずのもんどおり、では長すぎて言いづらい」→「あけずどおり」というふうに変化してきたのがどうも真相のようです。

 しかし、なぜ「門が開いていないのか?」という疑問があります。これは、「不明門通」を北へ歩いていくと、平等寺(因幡薬師堂)で行き止まりとなり、この薬師堂の門がいつも閉ざされていたことから、「不明門」と名付けられたそうです。
では、なぜ門が閉ざされていたのか?諸説あるようですが、お寺が、五条院の御所に遠慮して南門を開けなかったためであると言い伝えられています。このことから「不明門通」と名付けられたといわれています。

 「不明門通」は、JR京都駅の北側を東西に走る塩小路通から始まります。京都駅烏丸中央口を出ると、白く聳え建つ京都タワーが目に飛び込んできます。ここから「不明門通」散策がスタートします。では、歩きだしましょう。

京都タワー

京都タワー

 高さ131メートル。新幹線の車窓からもよく見える京都タワーは、まさに京都のシンボルとして親しまれています。タワーの姿を見て他府県の人は「京都に来た~!」と思い、京都人は「あゝ、帰ってきた~」と感じます。
 その姿かたちから、「ろうそく」をイメージして建てられた、という説もありますが、実際は「京都の町を照らす灯台」がデザインのコンセプトとなっています。建てられたのは1964年のことで、年末迫る12月28日に開業しました。 
 このタワーには鉄骨が一切使われず、特殊鋼板シリンダーを溶接で繋ぎ合わせ、円筒型の塔身を作ったモノコック構造で、タワー建築としては珍しい構造だそうです。
 町歩きの前、展望台まで昇って京都の町を一望するのも一興ですね。

京都タワー

〒600-8216
京都市下京区烏丸七条下ル東塩小路町721-1
075-361-3215
https://www.keihanhotels-resorts.co.jp/kyoto-tower/
午前9時~午後9時(最終入場 午後8時40分)変更する場合もあり
大人:770円、高校生:620円、小・中学生:520円、
幼児(3歳以上):150円、障がい者(手帳提示):350円
京の旅館通り

京の旅館通り

 京都タワーを左に見ながら、スクランブル交差点の歩道を北東へ渡ると、大きな烏丸通のすぐ横に「旅館街」「京の旅館通り」という看板が見えます。ここが「不明門通」の入り口にあたります。
 石畳が敷かれた狭い通りには、多くの旅館が軒を連ねています。駅前旅館といった風情です。京都観光の人々や、修学旅行の生徒たちもこの旅館を利用しています。

烏丸通に擦り寄られた不明門通

烏丸通に擦り寄られた不明門通

 すこし歩くと、車両の通行量が多い烏丸通が大きく迂回して、不明門通に迫ってきて、やがて合流してしまいます。まるで烏丸通が不明門通に擦り寄ってきているようです。
これは、烏丸通沿いにある東本願寺の前を、明治45年に路面電車が走ることになり、
東本願寺が、「多くの参拝者が事故に遭ってはいけない」と、電車軌道敷を迂回させたことで、烏丸通自体が不明門通を吸収してしまうことになったのです。

 不明門通を歩いていると、西側に東本願寺の御影堂門が眺望できます。高さ約28メートル、入母屋造りで本瓦葺き、三門形式二重門は見応えがあります。時間があれば参拝するのもいいでしょうね。

烏丸通に擦り寄られた不明門通
目疾地蔵の仲源寺さん

仏具店、数珠屋が並ぶ不明門通

 不明門通には、東本願寺があることから、仏具店や念珠店、法衣店などが並んでいます。とある店の前に親鸞聖人の大きな像が立っておられ、外国人観光客が一緒に並んで写真を撮る人気のスポットになっています。
 通りに交差して、東西に上珠数屋町通、中珠数屋町通、下珠数屋町通があります。古くから数珠の聖地だったのでしょうね。
 数珠は、バラモン教聖典に「連珠」という表記があり、釈尊=ゴータマ・シッダッタが佛教でも用いました。先祖や故人の成仏を祈るとともに、108の煩悩を打ち消し、魔除け、厄除けにも功徳があるといわれています。自分だけの数珠を持つことが重要ですから、ぜひふさわしい数珠を見つけてください。

目疾地蔵の仲源寺さん
菊姫稲荷大神

菊姫稲荷大神

 通りに小さくて、美しいお社を見つけました。「菊姫稲荷大神」とあります。由緒はよくわかりませんが、京都府宮津市に「菊姫稲荷大明神」なる社があり、言い伝えによると、「丹州皿屋敷」なる怪談ゆかりの稲荷社で、この「菊姫稲荷大神」もその関連ではないかと推測されます。
 「丹州皿屋敷」とは、「番町皿屋敷」「播州皿屋敷」など各地の怪談の本家である物語で、江戸時代に戯作者が創作して、歌舞伎や浄瑠璃で「播州皿屋敷」が上演されています。「播州皿屋敷」は姫路が舞台ですが、宮津市の「丹州皿屋敷」が原点ではないかともいわれています。
 この物語に登場する菊姫さんをお祀りしているのがこの「菊姫稲荷大神」なのかもしれません。宮津市に出かけた折に尋ねてみたいものですね。

菊姫稲荷大神

〒600-8173
京都市下京区仏具屋町付近
 
菊姫稲荷大神

五条通を越えて

 交通量が多い大きな通りに出てきました。五条通です。不明門通から五条通を越えるには、烏丸通の横断歩道を渡るしかありませんので、少し西に進みます。
 五条通は、烏丸通からその西にある堀川通の間は、国道1号線と9号線の重複した国道で、堀川通から以西が国道9号線として山陰道を通って山口県下関まで続く道。そして国道1号線は、東は東京の中央区日本橋まで、西は大阪の梅田新道まで続いています。

因幡薬師堂へ続く通り
因幡薬師堂へ続く通り

因幡薬師堂へ続く通り

 五条通を越えて不明門通を上ルと、「因幡薬師」と刻まれた堂々とした風情の石碑が見えてきます。そしてその奥に見事な甍(いらか)の屋根が見えます。真言宗智山派の寺院である平等寺です。人々からは「因幡堂さん」「因幡薬師さん」の名で親しまれていて、十一面観音像がある観音堂は、洛陽三十三所観音霊場の第27番札所でもあります。

 寺の由緒は、「因幡堂縁起」によりますと、天徳3年(959)に橘行平(たちばなのゆきひら)なる貴族が、時の村上天皇の命により因幡国(現・鳥取県)一宮に赴いた帰路、急病で倒れ、神仏に祈願したところ夢に異形の僧が現れ、「海中に浮き木あり。それは佛の国から到来したもので、供養せよ。すると病は治癒し、願いは叶う」というようなことを告げました。
 夢から覚めた行平が海の民の助けを得て大網を投じたところ、浮き木が見つかり、それが薬師如来像であると判明。早速その地に供養の堂を建てます。因州高草郡大字菖蒲浦にある座光寺(ざこうじ)です。

 無事、行平が京に戻ってしばらくしたある夜、ふたたび夢にある異形の僧が現れ、「宿縁がある」と告げます。目覚めた行平に家人が「来客あり」と告げに来て、門を開けると、あの薬師如来像がそこに立っておられました。
 行平は屋敷を改造し、お堂を造り、「因幡堂」と命名したということです。これが因幡薬師堂の由緒であるといわれています。長保5年(1003)のことです。
 平等寺の名は、承安元年(1171)、高倉天皇より名付けられたものだそうです。

 病治癒、子授け、安産の仏さまとして信仰されていますが、薬師如来様の「がん封じ」としても篤い信仰を集め、毎月8日には薬師護摩を焚いて、がん封じの御祈願がおこなわれています。

 昔から京都の町中にあり、ご病気の方の最後の拠り所として、多くの方の信仰を集めてきました。病気を治してくださる仏様、また、子授け安産の仏様として多くの方が参られますが、特に癌封じのお薬師如来として信仰されております。

因幡堂(平等寺)

〒600-8415
京都市下京区因幡堂町728
075-351-7724
開閉時間:午前6時~午後5時
祈祷・納経受付:午前9時~午後4時
http://inabado.jp/index.html
四条通界隈にある悪王子社、薩摩屋敷之址など

四条通界隈にある悪王子社、薩摩屋敷之址など

 不明門通は因幡薬師堂で終わりとなります。一本、東にある東洞院通を上ってみましょう。

 にぎやかな四条通の少し手前に「元悪王子(もとあくおうじ)」という町名の地区があります。悪王子とはまた物騒な名前ですが、この「悪」とは、善悪の「悪」ではなく、「強い」という意味での「悪」です。記紀にある「八岐大蛇(やまたのおろち)」退治」の勇者・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)を祀る、「悪王子社」がこの地に建てられていて、八坂神社の摂社として天延2年(974)にこの地に建立されました。
 当時は世が乱れ、多くの戦死者や処刑者が出て、疫病が流行し、風水害も頻発したことから、怨霊の祟りだと考えた人々が鎮魂の御霊会をおこないます。これが祇園祭です。「悪王子社」は、祇園祭の無事を祈願する社として今も多くの人々から親しまれています。

悪王子社

〒600-8091
京都市下京区東洞院通綾小路上ル元悪王子町付近
 
松原通へ(愛宕念仏寺の石碑)

 四条通を越えてドラッグストアやラーメン店が並ぶ一角に、「薩摩屋敷之址」という石碑が建っています。薩摩藩の京屋敷は室町通四条下ル付近に当初ありましたが、宝暦年間に移転してきました。
 幕末、島津久光が上京した文久3年(1863)には、上京区の相国寺の南、二本松にも新たな屋敷を造営し、等持院にも屋敷を構えたことも踏まえ、この地にあった屋敷もきわめて大きな敷地と、軍事的な備えも持っていたのではないかと推測されます。
 西郷隆盛もこの通りを闊歩したことでしょう。

〒604-8143
中京区東洞院通錦小路下る東側
お土産は「蕪村菴」のおかき
お土産は「蕪村菴」のおかき

お土産は「蕪村菴」のおかき

 京都は和菓子の町でもありますが、あられの文化も長く継承されています。

 六角堂の向かいにある「蕪村菴」は、地元京都人の季節の進物や家庭用として愛され、観光客にも土産物として喜ばれているお店。
 人気の「蕪村あられ春秋」をはじめ、「青磯のかほり」「京 いろちどり」や「吉祥赤飯せんべい 福寿米」など、思わずつまみたくなるようなあられが並んでいます。
 ゆったりとした佇まいの店内には、与謝蕪村の著作が並べられ、お庭の風景も心和ませてくれます。

 歩いて六角通まで来て、お土産にぜひ買い求めたいものですね。

蕪村菴

〒604-8134
京都市中京区六角通烏丸東入堂之前町234
075-213-7888
午前10時~午後6時
年中無休(年末年始・夏季休暇を除く)
http://www.buson-an.co.jp/
京都御所の横の小径

京都のへそ・六角堂

 不明門通散策、最終地点は「六角堂」です。本来は「頂法寺(ちょうほうじ)」といい、天台宗の単立系寺院で、建立したのは聖徳太子と伝えられています。

 境内の本堂東側に、「へそ石」と呼ばれる石があり、かつて本堂の礎石といわれていますが、この寺の建立が、桓武天皇の平安京建都以前であり、長岡京から京都へ都が移されたとき、造営のために本堂が北へ15メートル移動されました。その時に、この石が取り残されたといわれています。
京都の町を人体に喩えると、ちょうど「へそ」の部分にこの石があたることから、「へそ石」「要石(かなめいし)」と呼ばれるようになったとか。
 ぜひ、境内で「へそ石」をご覧になってください。

紫雲山頂法寺 六角堂

〒604-8134
京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248
075-221-2686
拝観時間:午前6時~午後5時(納経時間:午前8時~午後5時)
拝観料:無料(境内自由)
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