一日散策 関西歴史紀行 【四条通 Shijo】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN29 四条通 Shijo

四条通 Shijo
四条通 Shijo
四条通 Shijo
四条通 Shijo四条通 Shijo

 京都でもっともにぎやかな河原町界隈。この河原町通と交差する主要な東西の通りが「四条通」です。平安京が造営された時代からすでに「四条大路」の名が見えることから、いにしえの通りとして1200年以上の歴史を刻んでいます。東は八坂神社のある東山の通称祇園の石段下から、西は桂川が流れる松尾大社まで約10キロ弱を結んでいて、クルマの交通量が多い片側2車線の道で、現在は京都市道186号嵐山祇園線という名称にもなっています。

 長い道なので、2回に分けてご案内したいと思います。今回は「四条通その1」ということで、阪急電車「松尾大社駅」を起点にして、西大路四条=西院(さんいん/さい)までのコースを歩いてみましょう。

 松尾と書いて、現在は「まつお」と読みますが、古くは「まつのお」と読みました。京都の西エリアに「尾」の付く地名が多く地が多く、「三尾(さんび)」として有名な「高雄(尾)、栂尾(とがのお)、槇尾(まきのお)」をはじめ、水尾(みずのお)などがあり、「尾」とは山裾が長く伸びた土地という意味があるようです。高雄(尾)は尾根の高い場所、栂尾は「ツガ」という木が多かったことから、槇尾は常緑樹の「マキ」が多かったエリアで、松尾はその名の通り「松の木」が多かった地域でした。平安時代中期に編纂された書『延喜式』や『枕草子』『太平記』に「まつのお」や「まつのを」の表記があります。

 松尾大社の周辺には、苔寺として名高い西芳寺や、鈴虫寺として人気の華厳禅寺があり、京都の西エリアの華やかな文化を作り上げています。この地域は、平安京建都以前から帰化人の秦氏(はたうじ)が居住していて、もともと湿地帯であったこの地域の土地を整備し、桂川の灌漑をおこないます。そして、桓武天皇による長岡京から平安京遷都の際も大いに協力したといわれています。

 碁盤の目の洛中からは離れていますが、松尾大社周辺には平安京以前の古刹、深い歴史の息吹を感じる場所が残っています。

歩き出しは松尾大社駅から
歩き出しは松尾大社駅から歩き出しは松尾大社駅から

歩き出しは松尾大社駅から

 阪急電車の松尾大社駅は、終点の嵐山駅の1つ手前の小さな駅ですが、改札口を出ると赤い大きな鳥居が目に飛び込んできます。松尾大社の参道が続いていて、平日でも多くの参詣者でにぎわっています。

 松尾大社は式内社(名神大社)で二十二社の一社。二十二社は神社の社格のことで、国の受難や天変地異の際に朝廷から奉幣を受けた神社を指します。京都を中心に、近畿圏内に鎮座まします22の神社があり、松尾大社は、伊勢神宮(三重県)、石清水八幡宮、上賀茂・下鴨神社、平野神社、伏見稲荷大社(以上、京都府)、春日大社(奈良県)とともに上七社に数え上げられています。

 祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で、「くい」は「杭」のことで、大きな山にクイを打ち込む神様、つまり山の支配者=神のことで、『古事記』では、この神は松尾山と近江の日枝山(比叡山)に鎮座し、鳴鏑(めいてき/なりかぶら)をご神体としています。鳴鏑とは、矢を放ったときに音が鳴り響く構造を持った「鏃(やじり)」のことで、戦さがはじまる合図に使われたもの。

 5世紀、大陸の秦の始皇帝の子孫といわれる秦氏を朝廷が招聘して、集団で松尾周辺に移り住みます。秦氏は松尾山の神様を、みずからの一族の氏神様とし、この地域の開発に乗り出します。現在、保津川下りで有名な保津峡を開削し、桂川に提を造成します。

 境内に積み上げられた酒樽(菰樽)の数々。松尾大社は「酒の神」としても有名です。酒造技術を有する一族が秦氏のなかにいたのか、現代も日本全国の酒造会社の信仰を集め、社殿背後にある霊泉「亀の井」の水を醸造する酒に混ぜると、腐敗しないという言い伝えがあります。いずれにしても松尾大社は、日本酒造りにまつわる最高の神様が祀られている貴重な神社です。なお、庭園、神像館には拝観料が必要です。

松尾大社

〒616-0024 京都府京都市西京区嵐山宮町3
075-871-5016
平日・土曜:午前9時~午後4時、日曜・祝日:午前9時~午後4時30分
月読神社から鈴虫寺、苔寺を散策
月読神社から鈴虫寺、苔寺を散策月読神社から鈴虫寺、苔寺を散策

月読神社から鈴虫寺、苔寺を散策

 松尾大社から少し南へ向かって歩いていくと、月読神社の手前に「押見宿禰霊社遺跡碑」が建っています。押見宿禰は月読神社の神官で、古代日本5世紀頃の豪族である阿閉事代(あえの ことしろ/生年没年不明)が月神と日神の託宣を伝えた人物。その後、阿閉事代は大堰川(桂川)の近くに天月読命(あまのつくよみのみこと)を祀ります。月読神社の由緒です。この社の神官が押見宿禰で、やがて子孫は伊岐氏(壱岐氏)と名乗り、その後松室氏と称するようになります。時を経て明治の代になると一族の消息が不明となったものの、昭和42年に松室氏の一族によって、ここに碑が建てられました。

 この碑のすぐ横に、月読神社が鎮座ましましています。社格は式内名神大社・葛野坐月讀神社といい、松尾七社の一社で摂社にあたります。「つきよみ」「つくよみ」とも読まれ、『古事記』や『日本書紀』では、月を神格化し夜を支配する神といわれています。古代の神々には、海神(わだつみ)や山神(おおやまつみ)など、自然を司る神々がおられ、月読は「暦や月齢を読む」ことに関連しているようです。伝説には諸説あり、幻想的な物語がこの月読には隠されています。

 境内は森閑とした山の端にあり、おごそかな気配に満ちています。しかし、2018年夏に関西地区を襲った台風により被害を受け、社殿も傷みました。氏子さんたちの努力により修復作業がおこなわれています。ぜひ訪れて復興の協力をお願いしたいものです。

 月読神社から眺める京都の風景。東山からの眺めとはまた異なり、優雅なパノラマが楽しめます。

月読神社

〒615-8296 京都市西京区松室山添町15日番地

 月読神社からさらに進むと華厳禅寺、鈴虫寺があります。学僧鳳潭が開祖となって、当初は華厳宗の寺でしたが、後に臨済宗となり、本尊は大日如来。この寺では四季を通じてスズムシを飼育していて、鈴虫の音色に禅の悟りの境地を重ね、住職による鈴虫説法が人気です。

華厳禅寺鈴虫寺

〒615-8294 京都市西京区松室地家町31
9:00~16:30

 鈴虫寺からさらに山側に向かって進むと、苔寺の名で有名な西芳寺があります。現在、拝観は事前申し込みの予約制となっているため、ふらりと立ち寄ることはできません。往復はがきで申し込めば、読経や写経などを体験することができます。

 西芳寺は、天平年間(729~749)に創建された古刹で、開祖は行基、中興には夢窓礎石が携わっています。阿弥陀如来を本尊とする臨済宗の寺院で、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。元来この地には聖徳太子の別荘が建てられていたといわれ、阿弥陀如来像は太子作と伝えられています。平安初期には空海が入山し、放生会をおこないました。鎌倉時代に入ると、浄土宗の法然、その弟子で浄土真宗の親鸞も入山しますが、その後、寺は荒廃してしまいます。

 室町時代になり、松尾大社の宮司が僧侶で、庭造りの名匠であった夢窓疎石を招き、寺を復興させます。疎石は寺の名を西芳寺と改め、美しい寺となります。それを見て感銘を受けたのが室町三代将軍の足利義満で、後に西芳寺を模した形で鹿苑寺を創建します。金閣寺です。しかし、安土桃山時代になると焼失してしまいますが、織田信長が再建させたと伝わっています。比叡山の焼き討ちなど、仏教に対して対抗的な姿勢のイメージがある織田信長ですが、伝統ある古刹を守る思いがありました。

 西芳寺が「苔寺」として有名になるのは江戸時代も末期を迎えた頃のことで、近くを流れる川が地質に影響を与えたのがことによります。境内の東側にある黄金池を中心に広がる庭園は苔に覆われていて、本堂の西来堂、書院などがあります。庭園内にある重要文化財の湖南亭には、幕末期に岩倉具視(公卿・政治家)が隠れ住んでいたことがあるとか。また、外国人にも愛され、スティーブ・ジョブス氏も家族で訪れていたそうです。

西芳寺(苔寺)

〒615-8286
京都市西京区松尾神ヶ谷町
事前申し込みが必要(ホームページを参照のこと)
http://saihoji-kokedera.com/top.html

桂川を越えて

 西芳寺を後にして、一旦阪急の松尾大社駅まで戻りましょう。四条通は、松尾大社の大鳥居の前に架かる松尾橋を越えて、東山の八坂神社までを結ぶ通り。桂川を越えて進みましょう。この桂川は、京都の里山を縦横無尽に流れる川で、南へ流れたり、西に流れたりしながら亀岡市を縦断し、保津峡から嵐山、そして大阪府との境で木津川と宇治川に合流し、淀川となって大阪湾に流れ着いています。

 松尾橋を東に渡り、嵐山方面に少し歩いたあたりは罧原堤(ふしはらづつみ)と呼ばれ、広い河川敷が広がり、河原には草木が茂っています。このロケーションを利用しておこなわれているのが時代劇です。東映や松竹の京都撮影所からも近いため、小舟が登場する場面や、斬り合いなどの撮影によく利用されています。テレビ時代劇の「必殺シリーズ」をはじめ、「鬼平犯科帳」「暴れん坊将軍」といったドラマにこの河原の情景が登場します。再放送などがあれば、探してみるのも楽しいですね。

 松尾橋を、川の流れに沿うように南へ少し足を伸ばしましょう。河川敷はランニングをする人たちや散策をする人などが、クルマを気にせずに通り過ぎています。

川沿いに幾棟かのマンションが建ち並んでいて、その一角に「日本最古の洋紙製紙場跡」の石碑が建っています。梅津パピールファブリック製紙場跡ともいい、明治9年にこの地でドイツ人レーマン兄弟の指導により操業を開始した洋紙製紙工場を記念して、その跡地に建てられたものです。動力源は桂川の水利を活用し、その後民間に払い下げられ、明治大正昭和と操業を継続してきましたが、昭和46(1971)年に工場は閉鎖されてしまいました。工場の記念となる品々は、東京の王子飛鳥山公園内にある「紙の博物館」に保管陳列されているそうです。

日本最古の洋紙製紙場跡

〒615-0925 京都市右京区梅津大縄場町あたり
桂川を越えて
桂川を越えて

梅宮大社へ

 ふたたび四条通に戻りましょう。通りの北側に、立派な石の大鳥居が見えます。梅宮大社(神社)です。奈良時代の政治家、橘諸兄(たちばな もろえ)の母堂である縣犬養橘三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)が、京都府綴喜郡井手町あたりに創建したのが当社の始まりですが、平安時代になって嵯峨天皇の皇后の橘嘉智子(かちこ/檀林皇后)により、この地へ移されました。

 酒解神(さかとけのかみ)、大若子神(おおわくこのかみ)、小若子神(こわくこのかみ)、酒解子神(さかとけこのかみ/木花咲耶姫命)の四座を祭神としています。酒解子神と大若子神が、一夜の契りで小若子神を授かったことから、これを祝して酒を造り飲んだ伝説があります。このことから酒造りと安産の神として、多くの信仰を集めることになります。今も、安産の無事を願う女性たちが訪れています。

 境内は、周囲に多くの家々がありながらも静謐で清浄な空気が漂っていて、訪れる人々も静かに拝礼されています。この神社でもうひとつ有名なのが、境内に多くの猫たちがゆったりと過ごしていることです。多い時には15頭以上の猫が気ままに社務所受付や拝殿に寝転がっているようで、彼ら彼女らに会うことも愉しみにしている参詣者もおられます。この時は、拝殿に気持ちよさそうに寝そべっているニャンコに遭遇しました。カメラを向けられても平然としている姿が、猫好きにはたまりません。

梅津大社

京都市右京区梅津フケノ川町30
075-861-2730
午前9時(開門)~午後5時(閉門)
神苑入場料金:料金大人550円・小人350円
http://www.umenomiya.or.jp/

 梅津大社の参道に「橋本経亮宅址」の石碑が建っています。梅宮社の社家に生まれた橋本経亮(1755~1805)は正禰宜や、宮中の非蔵人(ひくろうど)を務めました。非蔵人とは、神職の家などから選ばれ、無位無官で宮中の雑用を勤める者のことで、国学の知識が深かった橋本が選ばれました。また、『雨月物語』の作者である上田秋成から和歌について学んだともいわれています。

梅宮大社へ
梅宮大社へ梅宮大社へ

京都市営バスに乗って西院野々宮神社へ

 梅宮大社を出てからしばらくは、クルマの通りが多い四条通が続きます。道端には商店や工場が建ち並ぶ風景なので、「梅宮大社前」から「四条中学前」まで市バスに乗ってみましょう。京都の市営バスは、後部乗りで、料金は降車する前の降り口、運転手の横の料金箱に支払う方式です。市内一律230円(一部を除く/2018年現在)となっています。

 「四条中学前」でバスを降りて、四条通を南に向かって少し進むと、「西院野々宮神社(さいいんののみやじんじゃ)」という小さな神社の森が見えてきます。

 「野宮」とは、伊勢斎王(さいおう)となる皇女が宮中で1年間、潔斎(身を清める儀式)をおこない、その後「野宮」で1年間、身を清めた上で、神嘗祭(かんなめさい)という新穀を伊勢神宮の天照大神に奉る儀式に向かいます。

 肉食や酒を断ち、沐浴を重ねて身を清めるための場所が「野宮」で、嵯峨野にある野々宮神社を思い起こす方もおられると思いますが、京都には「野宮」は何カ所か存在しています。「西院野々宮神社」もその一社で、紫式部の『源氏物語』第10帖「賢木(さかき)」で、光源氏と結ばれることを諦めた六条御息所が、娘の斎宮と伊勢へと旅立つ「野宮の別れ」が有名ですね。この『源氏物語』の「野宮」が京都のどこの「野宮」であるのかは不明ですが、この西院野々宮神社も、いつの時代かの斎王が過ごした地であることはたしかでしょう。

 西院野々宮神社は別名「西四条斎宮」とも称され、深い緑に抱かれた社殿には時空を超えたような静寂とすがすがしさがあります。ただ、やはりここも2018年現在、台風の爪痕が残っていて、社殿に巨木がもたれかかるようにして倒れています。僅かながらもお賽銭を供えたいものです。

 祀られているのは倭姫命と布勢内親王で、倭姫命とは、伊勢神宮の最初の斎王とされています。布勢内親王は平安京遷都を成し遂げた桓武天皇の皇女であり、新京の平安京から初めて伊勢神宮へ出立した斎宮です。

 現在、「西院野々宮神社」は、当地より北へ少し行ったところにある「西院春日神社」の御旅所となっていて、宮司さんも兼任されています。平安時代に憧憬の念を抱く人ならぜひとも立ち寄りたい社です。

西院野々宮神社

〒615-0065 京都市右京区西院日照町
http://www.kasuga.or.jp/about/nonomiyajinjya/
阪急電車「西院駅」へ向かう

阪急電車「西院駅」へ向かう

 四条通を阪急電車の「西院駅」に向かいますが、通りの南側の歩道を歩いてみてください。一軒の住宅の玄関先に「平塚瓢斎(ひらつか ひょうさい)先生宅趾」という石碑が建っています。平塚瓢齋とは、京都町方奉行の与力(よりき)であり、天皇陵の研究者として『陵墓一隅抄』『聖蹟図志』『柏原聖蹟考』などの著書があり、天保の飢饉では世と民を助けるために活動した人物です。

 江戸幕府の大老井伊直弼が、日米修好通商条約に反対する勢力を弾圧した「安政の大獄(1858~1859)」では、平塚瓢齋も草間五郎や木村勘助らと謹慎を命ぜられるものの、明治8年(1875)に84歳で没するまで、著作活動を続けていたそうです。歴史の教科書にはあまり登場することのない人物ですが、幕末期に平塚のような自分の意思を貫き通した人物がいたことは、わが国の精神風土の豊かさを感じさせてくれます。

 石碑は個人のお宅の玄関先に建てられていますので、写真撮影などをする場合は無断で侵入したり、花などを勝手に移動させたりしないようにしてください。

贈正五位平塚瓢齋先生御邸址(石碑)

〒615-0062 京都府京都市右京区西院坤町62

 石碑から東に向かってしばらく歩いていくと、阪急電車の「西院駅」です。京都駅へ行く場合は、西大路四条の交差点から市バスに乗ると便利です。

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