一日散策 関西歴史紀行 【河原町通 Kawaramachi】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN31 河原町通 Kawaramachi

河原町通 Kawaramachi
河原町通 Kawaramachi
河原町通 Kawaramachi
河原町通 Kawaramachi河原町通 Kawaramachi

 京都でも最も有名な通りの一つである河原町通。その名前の通り、鴨川の河原であった区域に造られた通りです。桓武天皇が造営した平安京の時代には存在していなかった道であり、天正年間(1590年前後)、豊臣秀吉の京都大改造で造られた「御土居」(寺町通)の外側を南北に貫いています。

 河原町通が完成した時期は明確ではありませんが、寛文10年(1670)、鴨川に「寛文の新堤」が築かれ、堤防の役割を担っていた御土居が取り壊されて、家々が建てられたようです。それ以前の慶長年間の1611年に豪商であった角倉了以、素庵親子が資材をなげうち高瀬川を開削して水運路を開いたこともあり、寺町通以東の区域が大きく様変わりしてきます。

 もっとも、河原町通が現在の道幅を持つ大路となるのは明治時代になってからで、「京都三大事業」の一環として、市内に京都電気鉄道の路面電車が敷設されました。この路線は木屋町二条から塩小路高倉を結ぶ木屋町線(単線)で、複線化計画が出た時、高瀬川を守ろうという住民の声が上がり、電車道が河原町通に移設されます。この時に河原町通は拡大されたのです。そして、昭和36年(1961)になり、四条通から御池通まで寺町通を北上していた祇園祭の山鉾巡行のルートが河原町通に変更され、今や古都京都を代表する繁華街としてにぎわっています。

 今回はこの河原町通を、鴨川上流の葵橋西詰から、四条通界隈まで歩きたいと思います。河原町通自体は現在、葵橋西詰から南は十条通まで続く南北の長い通りです。今回は、京阪電車の出町柳駅を出発点にして、葵橋から南へ下りながら河原町通を散策します。車道対面二車線の幹線道路ですが、舗道は整備されゆったりと歩くことができます。通りの西側東側と行き交いしたり、鴨川に近づいたりして、この通りの古きを訪ねたいと思います。

出町柳駅からスタート
出町柳駅からスタート出町柳駅からスタート

出町柳駅からスタート

 京阪電車の「出町柳駅」を出発点にして、すぐ西側を流れる高野川を越えます。橋を渡るとすぐに賀茂川が流れています。出町柳は、高野川と賀茂川が合流し、三角州を造り出しています。洲は公園になっていて、天気のいい日などは多くの人々の憩いの場となっています。森見登美彦さんの小説『夜は短し歩けよ乙女』などに登場しますのでご存知の方も多いことでしょう。

 この三角州の北側には世界遺産の下鴨神社の境内が広がっています。正式名を「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」といい、上賀茂神社(賀茂別雷神社)と共に「賀茂神社」と総称されています。毎年5月におこなわれる「葵祭」が有名ですね。この下鴨神社には、「糺(ただす)の森」という貴重な原生林があり、こちらも世界遺産に指定されています。いつかご案内したいものです。

 賀茂川の河原の道を上流に向かって歩いていくと「葵橋」が見えてきます。交通量の多い車道です。この橋の西詰から始まるのが「河原町通」です。これより北側の道は「下鴨本通」と名前を変えています。

 葵橋西詰から少し下ルと出町桝形商店街の入口があり、人気の「出町ふたば」の前には今日も大勢の方々が行列を作られています。「寺町通」篇でご紹介していますのでご参考にしてください。商店街とは反対の、賀茂川に架かる出町橋へ進んでいくと、橋のたもとに「鯖街道口」の石碑が建っています。横に「従是洛中」の文字があります。京都から八瀬大原、近江の朽木を越えて越前小浜へつながる若狭街道が鯖街道と呼ばれていました。鯖街道は他にも幾筋かありますが、ここは京都の洛中につながる街道の口でした。

 そのすぐ南側に鳥居があります。「出町妙音堂」の名で親しまれている「青龍妙音弁財天」です。鎌倉時代の公卿であった西園寺公衡(さいおんじ きんひら/1264~1315)の長女・寧子(ねいこ)が後伏見上皇の女御となった折、念持仏として持参した青龍妙音弁財天画像を祀ったことがはじまりで、伏見離宮から現在の地へ移ってきました。この西園寺寧子(出家後は広義門院)という女性は、南北朝時代の混乱の中、北朝存続のために天皇家の家督者としての働きをおこない、「治天(ちてん)の君」となった日本史上唯一の女性です。治天の君とは、国を治める君主のことを指し、寧子の存在はきわめて特別でした。

 今出川通を下って東に向かって一筋入ったところに、「北村美術館」という小さな、たたずまいのいい建物があります。実業家で茶人でもあった北村謹次郎という人物が、妻とともに収集した茶器の名品逸品を所蔵しています。茶を主軸として、絵画、掛け軸などもあり、国の重要文化財も数多くあります。
 また、隣に建つ「四君子苑」という茶室は数寄屋建築の粋を集めた傑作で、春と秋に一般公開されるそうです。京都の文化の奥深さを感じさせてくれる優雅な美術館です。ぜひ訪ねてみたいものですね。

北村美術館

〒602-0841
京都市上京区河原町通今出川下ル1筋目東入梶井町
午前10時~午後4時
月曜日(祝日の場合は開館)祝日の翌日
(春:3月中旬~6月上旬、秋:9月中旬~12月上旬のみ開館)
一般:600円(団体500円)、学生:400円(300円)
幕末の志士や、学生デモが行き来した界隈
幕末の志士や、学生デモが行き来した界隈

幕末の志士や、学生デモが行き来した界隈

 河原町通を西側へ横断して京都御苑の方へ少し進み、「石薬師御門」の手前に、「大久保利通邸宅跡」の石碑が建っています。昭和2年(1927)に建立されたものです。
 大久保利通(1830~78)は文久年間に上洛し、慶応2年(1866)の正月から4月までこの地に住みました。大久保という人物については、常に冷静で冷徹、冗談が通じない堅物という評価があります。しかし、大政奉還、王政復古といった大事業を遂行するために、一途にその能力と体力を注ぎ込んだ政治家は、幕末期において輝く存在であるといえます。また、幕末の動乱によって京都嵐山が荒れ果て、無残な景観となっていたのを、政府の資金で修復させたのが大久保でした。評価が分かれる大久保利通ですが、氏が暮らした家の跡を訪ねてしばし幕末の物語を夢想したいものですね。

 河原町通をゆっくりと南下していくと、京都府立医科大学の広い敷地があります。明治4年(1872)東山に仮療病院を開設し、明治13年にこの地へ移転してきました。もともとこの地には、天台宗の三門跡寺院の1つである梶井門跡の院があったとか。梶井門跡は現在の大原三千院です。

 この医科大学の向かいには、かつて立命館大学の広小路学舎がありましたが、1981年に現在の衣笠学舎に移転しています。河原町通は、1970年前後の学生運動が盛んなころ、デモ行進の学生たちが歩く道でした。今出川通の東側の百万遍から京都大学のデモ隊が、西側からは同志社大学のデモ隊が合流し、河原町通を南下します。広小路あたりで医科大学と立命館大のデモ隊が合流して、大きな集団となって四条通を目指すのです。当時は京都市電が走り、車両も多く通行していましたが、学生たちは横に広がってデモ行進し、警察の機動隊とぶつかったりしたそうです。河原町通を四条で左折し、祇園の石段を上って円山公園まで行くというのが当時のルートだったとか。

 医大から少し下ルに荒神口の交差点があります。この交差点の角にかつて「しあんくれーる」という1階がクラシック、2階がジャズを聴かせる店がありました。多くの学生たちが通った人気店で、20歳で自殺した高野悦子の遺稿集『二十歳の原点』に、彼女がよくこの店に通ったことが書かれています。この本は、青春期の揺れ動く心、憧れ、不安などの心情が詩的な文体で綴られ、1970年代の若者たちがよく読んだ本です。現在、店があった場所は駐車場になっています。

 荒神口から下り、丸太町通の1本北に下切通という短い通りがあります。御苑方面、つまり西に少し進んだ路傍に「十津川屋敷跡地」という石碑があります。2009年に十津川村教育委員会によって建てられた真新しい石碑で、幕末維新の動乱期、勤王思想が強い十津川郷士たちが、ここに建てられた屋敷を拠点にして活動していたのでしょう。

十津川屋敷跡地石碑

〒602-0861
京都市中京区新烏丸頭町下切通上ル

 丸太町通まで来ると、ちょっと寄り道をして鴨川方向に歩き、北へ上ル細い路地を進んだところに、江戸時代後期の儒学者で、詩人、歴史家でもあった頼山陽(1780~1832)の書斎「山紫水明処」があります。大坂で生まれ、父の転勤で広島に移り住んだ頼山陽は江戸に遊学。一度は広島に戻ったものの突然脱藩を企て京都へ出奔。しかし捕らえられて帰国します。幽閉状態のときに執筆しはじめたのが、後に尊攘派の志士たちに影響を与えた書物『日本外史』だといわれています。
 その後、許されてようやく京都に居を構えたのは32歳のとき。幾度か居を変えながら、落ち着いたのがここ「山紫水明処」です。屋敷内には梅、桜、桃などの花木を植え、鴨川から東山の山並みを楽しんだのでしょう。
 見学を希望される場合は事前の申し込みが必要です。往復はがきに「見学日時(第二希望まで)」「人数」「住所・氏名・電話番号」を記入して、見学希望日の2週間前までに申し込んでください。

山紫水明処

〒605-0063
京都市東山区新門前松原町289 頼山陽旧跡保存会宛
午前10時~午後4時
8月、12月後半~3月前半
700円

 丸太町通を越え、二条通の少し北の東側に「法雲寺」という寺院があり、門前に「久坂玄端 吉田稔麿等寓居跡」という石碑が建っています。幕末期、中老格長井雅楽(ながい うた/長州藩士)の暗殺に失敗した久坂たちが謹慎のためにこの法雲寺に入ります。同じ長州藩でありながら、革新的な吉田松陰と対立する形であった長井雅楽は、松陰の弟子である久坂や、寺島忠三郎、野村和作、堀真五郎、福原乙之進らと住み、吉田栄太郎(後の稔麿)も謹慎することになります。
 この法雲寺と長州藩との関係は、元和5年(1619)長州毛利屋敷が近隣にあったことから、この界隈には毛利家臣が多く居住していました。

 法雲寺は清水山洗心院と号する浄土宗の寺院で、元来この地には関白太政大臣藤原兼家の邸宅二條第を法興寺に改め、永禄1年(1567)源蓮社清善上人が草庵をむすび、その後、清久上人が堂宇を建立したのがこの寺のおこりです。

 寺の庫裡の東側に「菊野大明神」なる良縁を結び、悪縁を切る縁切り祈願の神様がおられます。ご神体は「縁切り石」と呼ばれ、この石は小野小町伝説で有名な「百夜通い(ももよがよい)」にまつわる物語があります。絶世の美女と謳われた小野小町に恋慕した深草少将。小町は少将のことが疎ましく、「私の元へ百夜通ったならば、貴方の意のままになろう」と告げる。少将は連夜通うものの、百夜目を迎えようとする直前、雪の中で凍死してしまう。少将がいつも腰掛けた石がこの「縁切り石」だといわれていることから、人の縁を切るというご利益があるようです。京都の人のなかには、婚礼の際にはこの菊野大明神のそばを通ってはいけないと信じています。

法雲寺/菊野大明神

〒604-0911
京都市中京区河原町通二条上る清水町364-1
075-241-2331

 二条通を下がったエリアには、日本銀行京都支店やレトロな雰囲気漂う島津製作所のビルが建ち、元長州藩邸で現在は京都ホテルオークラの敷地内に「桂小五郎像」があります。
 桂小五郎、後の木戸孝允(たかよし)は長州藩士として討幕のために活動し、薩長同盟を進めた「明治の三傑」といわれた人物です。幕末のスターといえば、坂本龍馬、西郷隆盛などの名前が挙がりますが、「名前は知っているけど、何をした人か、あまりよく分からない」というのが桂小五郎ではないでしょうか。桂の経歴を書き出すと長くなりますので、ここでは彼の人柄について簡単に述べましょう。まず、女性にモテた。その風貌、175センチの長身で洋服がよく似合う桂は、女性から注目される男でした。しかも桂は、後輩にも気さくで親切で、男女を問わず人気があったようです。桂の人物を見抜く目は確かで、村田蔵六(後の大村益次郎)を抜擢し、伊藤博文や井上馨などの若者を英国留学させるなど、先見の明にすぐれた人物でした。

 また、幸運の持ち主でもあり、新選組の池田屋襲撃の際、たまたま早く到着した桂は時間調整のために対馬藩邸に大島友之允(おおしまとものじょう)を訪ねます。その間に新選組の近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4名が三条小橋にあった池田屋を襲い、長州藩や土佐藩の尊王攘夷の志士たちが討たれ、桂は難を逃れます。

 明治維新後は、木戸孝允と名前を変え、明治新政府の基盤づくりに活躍します。版籍奉還、廃藩置県、四民平等などに力を注ぎますが病に倒れ、西南戦争勃発時には、大久保利通の手を握りしめ「西郷も、いいかげんにしないか」と言ったとか。そして1877年、43年の生涯を閉じます。

河原町通三条一筋上ルでおいしいものを…
河原町通三条一筋上ルでおいしいものを…

河原町通三条一筋上ルでおいしいものを…

 河原町通を三条まで下ってきました。河原町通を西に東に寄り道し、日も暮れてきたので、ちょっとおいしいものを食べにレストランに立ち寄りましょう。

 河原町通沿いの朝日会館のある南側の細い路地を曲がると、いくつもの魅力的な店がならんでいます。姉小路と三条通の間のこの路地には名前がありません。もともと路地か辻子だったのでしょうか。名づけられていない通りも京都にはあるのです。

 木屋町通とのちょうど中間あたりに、「極楽とんぼのフォアグラ屋」という看板を出したお店があります。温かみのある木のドアを開けると、いい雰囲気のカウンターが8席並んでいます。フォアグラ屋というからには、名物料理は世界の三大珍味のフォアグラです。しかも陶板焼にして頂き、ソテーした油を使ってピラフにしてくれるという、ちょっとめずらしい料理を提供してくれます。ソテーしたボリューミーなフォアグラに野菜を添えたものと、ピラフ、サラダに香の物がついたセット。赤ワインも合いますし、醤油風味なので日本酒にもビールにも合います。

 フォアグラの陶板焼という料理を考えたのは先代店主の平田重利さんで、仕入先で「いいフォアグラがあるんやけど…」と言われ、店にあった陶板でソテーしたら「いけるんちゃうかなぁ?」と思いついたそうです。平田さんは惜しくも63歳の若さで亡くなられましたが、それを今は二代目の小林夫妻が受け継いでいます。

 暖かく家庭的な店なので女性一人でも気軽に入れ、人気の丹波の黒豆茶やルイボスティーなどもあります。そして何よりこだわっているのがチーズ。チーズプロフェッショナル協会理事の和泉夕加里さんセレクトの国内外の熟成チーズを豊富に取り揃えています。さらに、フォアグラのピザをはじめ、4種チーズピザ、サラダのピザなど、食いしん坊にはたまらないメニューもあって、ワインとともに楽しむのは極上のひとときですね。オーナー夫妻も気さくに話をしてくれ、散策で疲れた身体を休ませるにはうってつけのお店です。

 フォアグラと聞けば高級料理と思いがちですが、ここではリーズナブルに芳醇なフォアグラを楽しむことができます。ぜひ立ち寄りたい隠れ家レストランです。

極楽とんぼのフォアグラ屋

〒 604-8005
京都市中京区河原町三条上る一筋目東入る北側
075-213-2404(予約をしてもらえれば嬉しいです)
午後5時~午後10時30分(LO.午後10時)

 帰り道は、京阪電車なら「京阪三条駅」にほど近く、阪急電車の「河原町駅」も、北町通を下って10分程度です。


(写真・文/上野卓彦~寺社、城、街道、石碑、昔の暮らしなど歴史をめぐる文章を雑誌に執筆。京都の路地や辻子などにあるお地蔵様や大日如来様、仁丹琺瑯看板などを探して歩いているライター)

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