一日散策 関西歴史紀行 【馬代通 Badai】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN01 馬代通 Teramachi

馬代通 Teramachi
馬代通 Teramachi
馬代通 Teramachi
馬代通 Teramachi馬代通 Teramachi

 馬代(ばだい)通は、中京区西ノ京の天神川に架かる「桜小橋」という小さな橋から北区衣笠西馬場町まで、南北に約3キロ程度の通りで、平安京が造られた時代の「馬代小路」に由来する古い道です。平安京建都の際、南北の通りは、東京極大路(現在の寺町通もしくは梨木町通)と西京極大路(現在は途切れている)の間に33もの通りがあり、その中央に朱雀大路が造られていました。

 馬代小路は、西京極大路から7本東にある通りで、右京の南北の通りのなかで平安時代と同じ名前で呼ばれている数少ない通りです。1本西は恵止利(えとり)小路(現在の西小路)、1本東は宇多(うだ)小路(現在の佐井西通)です。

 馬代という地名の由来は、もともとこの地域は綿代(めて)と呼ばれていて、綿を馬の字に転訛させたともいわれています。綿が馬に変化するのはいかにも不可思議なことですが、馬上で手綱を取る手のことを「馬手(めて)」と呼ぶことから、綿代と馬手という同音が混じり合い、「馬代」となったのかもしれません。また、通りの東には「伯楽(はくらく)町」という町名があり、伯楽とは馬の調教技術に優れた人のことを指し、「ばくろう=馬喰」とも読みます。現在でもアスリートの育成にすぐれた者を名伯楽と呼びますが、伯楽とは中国春秋時代の実在の人物の名で、獣医でもあったと『韓非子』にも記載されています。もしかしたらこの地域では多くの馬が飼われ、宮中行事や祭事などに使われたのかもしれませんね。

 馬代小路は右京の荒廃と共に廃れますが、後年になって学校が多く建てられ、現在花園大学、京都府立医科大学花園学舎、京都府立山城高校、洛星中学・高校、立命館大学などが通り近辺にあります。

 通りに沿って、堀河天皇火葬塚や足利家菩提所である等持院への道標など、平安時代から南北朝時代にかけての旧跡にまつわる遺物が多く見つけることができます。そして、最終地点は鹿苑寺(金閣寺)となります。

 天神川に架かる桜小橋に行くには、京都市営地下鉄「西大路御池駅」が最寄りです。この駅を起点にして歩き出しましょう。

地下鉄「西大路御池駅」から歩きはじめて…
地下鉄「西大路御池駅」から歩きはじめて…

地下鉄「西大路御池駅」から歩きはじめて…

 京都市営地下鉄「西大路御池駅」を地上にあがると、西京高校の敷地に〈源氏物語ゆかりの地「斎宮邸跡」平安京右京三条二坊十六町跡〉という案内板があります。斎宮とは、天皇に代わって伊勢神宮に仕えた未婚の内親王または女王のことで「いつきのみや」「大御神(おおみかみ)の御杖代(みつえしろ)」とも呼ばれています。

 2000年に行われた発掘調査で、高校のグランドから屋敷跡が見つかり、「斎宮」「斎雑所」と書かれた墨書土器が発掘されたことから、平安中期の邸宅が建っていたことが分かりました。また、『源氏物語』の「賢木(さかき)」に描かれた、六条御息所と娘の秋好中宮ゆかりの地であるといわれています。

 天神川に架かる「桜小橋」までは、佐井西通を北へ進み、天神川の流れの手前を西に少し進むと「さくらこはし」と書かれた小さな橋が見えてきます。ここから「馬代通」がはじまります。住宅街のなかを通る小径で、太子道を越えると花園大学の学門が見えてきます。禅宗の臨済宗の仏教系大学である花園大学は、妙心寺を開基した花園天皇ゆかりの大学。キャンパス内にある歴史博物館は考古学部門、民俗学部門、美術・禅文化部門、歴史学・典籍部門の4部門に関する収集資料を展示していて、一般市民も見学することができます。興味がある方はぜひ立ち寄りたいものです。

花園大学歴史博物館

〒604-8456
京都市中京区西ノ京壺ノ内町8-1
https://www.hanazono.ac.jp/about/museum/
午前10時~午後4時(土曜日は午後2時まで)
全学休講日
馬代通をゆく
馬代通をゆく

馬代通をゆく

 JR山陰本線の高架橋をくぐり、丸太町通、下立売通、妙心寺道を越えると西に山城高校が、東側に府立医大花園学舎があります。さらに進んで、一条通との角にあるコンビニを目印に北へ進んでいくと、嵐山電車の踏切が見えてきます。踏切から東方向を眺めると終点である北野白梅町の駅が見えます。住宅街が多く建ち並び、立命館大学に通う学生たちもこの辺りには多く住んでいて、若者の姿を多く見かけます。

 嵐電の踏切を越えると西側に「堀河天皇火葬塚」と書かれた木製案内板が建っていて、その脇の狭い路地を進んでいくと少し広くなった場所に出ます。火葬塚です。かつてこの塚には立派な松が植えられていたそうですが、惜しくも枯れてしまったそうです。

 堀河天皇(1087~1107)は、平安後期の第73代天皇で、白河天皇の第二皇子として生まれ、8歳で天皇に即位します。もっとも政治は白河上皇が握り、院政を敷いたのです。しかし、成人するにつれ堀河天皇はその誠実な性格で善政をおこない、人望も厚く、『続古事談(ぞくこじだん)』(鎌倉時代初期の説話集で、編者不明。仮名文で書かれ、儒教の教訓由来の説話が多い)によると、堀河天皇は「末代の賢王」とあり、 『発心集(ほっしんしゅう)』(鎌倉時代初期の仏教説話集で、鴨長明が編んだ)では、堀河天皇の代は「天が下治まりて、民安く世のどかなり」と平和な時代を生み出したと書かれています。穏やかな性格で、有能な人物であったことがうかがい知れます。

 しかし、白河上皇による政治への介入がふたたび起き、堀河天皇は政治から離れ、芸術の世界へと足を踏み入れます。『勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)』に収められている和歌、さらに笛の名手であったといわれ、御殿の壁に譜面を貼り付けて稽古に励んだそうです。今でいうなら、シンガーソングライターであったのかもしれません。政治の世界に諦念を抱き、その空虚感を埋めるために文芸や音楽の世界に進んだ堀河天皇。もともと頑健ではなかったため、29歳という若さで亡くなってしまいます。「芸術は長く人生は短し」とは、ヒポクラテスが医術について語った言葉からの転化したものですが、堀河天皇もその感を深く抱いたのではないかと思います。

 それにしても私たちはあまりにも歴代の天皇のことを知らないですね。京都市内には多くの天皇陵があります。詳しい案内板などが建てられていないので知ることができないという面もありますが、自分で調べて現地へ赴くことで、日本史の深さに手を触れることができるかもしれませんね。

堀河天皇火葬塚

〒603-8343 京都市北区等持院東町
寺町二条のカーブ「市電と檸檬」
寺町二条のカーブ「市電と檸檬」

 さらに北に歩いていくと、通りの西側に「是西 足利家菩提所」という石碑が見えます。歳月を経たもののようで、刻まれた文字が薄れかけています。足利家の菩提といえば臨済宗天龍寺派の「等持院」で、足利尊氏の墓所でもあります。暦応4年(1341)、天龍寺の夢窓国師を迎えて衣笠山南麓に創建させたといわれています。

 等持院といえば、推理小説から純文学までジャンルにとらわれない小説を書いた作家・水上勉が13歳の頃、それまで預けられていた寺を抜け出し、等持院の坊主として数年間寄宿したことがあったそうです。脱走してきた小坊主を追い返すこともなく預かるという度量の大きさは、足利尊氏の人間の大きさを受け継いだものかもしれませんね。

 この石碑の後方に、味わい深い気配を漂わせた門があります。「木島櫻谷(このしまおうこく)旧邸」です。日本画家・木島櫻谷(1877~1938)の居住していた和館、洋館、画室などの建物があり、櫻谷の作品などが展示されています。

 北に進むと「右二條天皇御陵道/左後朱雀天皇御陵道」という石碑に出会います。二條天皇(1143~1165)は第78代天皇で、後白河天皇の第一皇子。馬代通から少し東に行った佐井西通と佐井通の間に御陵があります。後朱雀天皇(1009~1045)は平安中期の第69代天皇で、一条天皇の第三皇子。御陵は龍安寺内にある圓乘寺陵です。時間があれば、ちょっと回り道をして立ち寄るのもいいですね。

 二條天皇陵に行く途中に「小松原児童公園」という、どこにでもあるような公園があります。実はこの付近、幕末に薩摩の島津久光が広大な敷地を所有していて、薩摩藩の藩兵調練場を造ったところです。調練場というのは、陣屋や勤番屋敷、武器庫などを置いたところで、京都市内には薩摩藩所有の場所がいくつもあるなか、ここもその一つに数えられています。
 久光は西郷隆盛と共にしばしばこの小松原調練場を訪問した記録があり、「鳥羽・伏見の戦い」の際は、この調練場から大量の弾薬や武器が運び出されたそうです。現在は平和な公園となっています。

小松原児童公園

〒603-8341 京都市北区小松原北町127
「きぬかけの路」から金閣寺へ
「きぬかけの路」から金閣寺へ「きぬかけの路」から金閣寺へ

「きぬかけの路」から金閣寺へ

 衣笠山の山並みが目の前にまで迫って来て、ずいぶん北の方まで歩いてきました。馬代通は大きなバス通りと交差します。「きぬかけの路(みち)」です。

 金閣寺から龍安寺、仁和寺など、世界遺産の古刹を歩いてめぐることができる道で、以前は「観光道路」という味気ない名で呼ばれていました。かつて宇多天皇が「真夏ではあるけれど、朕は雪見を楽しみたいぞよ」と言い、周囲を困らせます。しかし賢い人が「衣笠山に美しい絹布を掛ければ、遠目から見れば雪化粧しているようになるのではないか」と思いついたそうです。果たして宇多天皇はそれを見て満足されたのかどうか。しかし、この話がもととなって「きぬかけ」という言葉が残ったということは、大きな問題にならなかったんでしょうね。この「きぬかけの路」という名称、京都人には当初、馴染めなかったようですが、今はだんだんと浸透してきたようです。

 この「きぬかけの路」沿いには、立命館大学があります。かつて河原町通の広小路にキャンパスが移転してきて、多くの学生たちが学んでいます。世界遺産の真ん中に大学があるのは何とも羨ましいかぎりですね。

 また、大学の学門の対面には、「京都府立堂本印象美術館」があります。

 堂本印象(1891~1975)は京都生まれの日本画家で、大正8年(1919)に帝展初出展した「深草」が入選。その後、日本を代表する画家として活躍しました。

 美術館は昭和41年(1966)に画家本人によって開館し、平成3年(1991)に京都府へ寄贈されました。建物外観から内部まですべて堂本の意匠が凝らされ、庭園のベンチや椅子などにも堂本のイマジネーションあふれるデザインが活かされています。一度ぜひ立ち寄りたい美術館です。詳しくはホームページをご参照ください。

京都府立堂本印象美術館

〒603-8355
京都市北区平野上柳町26-3
http://insho-domoto.com/index-j.html
午前9時30分~午後5時(入館は閉館30分前まで)
月曜日(祝日の場合は開館し、翌火曜日に休館) 及び 年末年始(12月28日~1月4日)※その他、展示替えなどで臨時休館することがあります。

 馬代通は金閣寺の手前で終点となります。世界遺産鹿苑寺金閣寺は、世界中から多くの観光客が訪れる人気のスポット。せっかくですからお参りして、美しい金閣の姿を眺めるのもいいですね。


(写真・文/上野卓彦 寺社、城、街道、石碑、昔の暮らしなど歴史をめぐる文章を雑誌等に執筆。京都の路地や辻子にあるお地蔵様や大日如来様、仁丹琺瑯看板などを探して歩いているライター)

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