一日散策 関西歴史紀行 【上賀茂の道 Kamigamo】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN37 上賀茂の道 Kamigamo

上賀茂の道 Kamigamo上賀茂の道 Nishinotouini

 京都には「カモ」の名がつく地名が多く、その代表的な存在が「鴨川(賀茂川/加茂川)」でしょう。他にも上賀茂神社、下鴨神社などがあり、京都は「カモ」がある意味、町の代名詞になっているようです。

 鴨(賀茂)は古代の氏族の名で、奈良時代に編まれた『山城国風土記』によると加茂川の流域に定着し、上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)を祭神として栄えました。2つの神社を合わせて「賀茂社」と呼ばれていました。 また平安期に著された『新撰姓氏禄(しんせんしょうじろく)』では、賀茂氏は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)という天神族で、彼らは天照大神に仕えた神々を祖とするとあります。この賀茂建角身命は、熊野から大和に向かう神武天皇一行を「八咫烏(やたがらす)」に変身して道案内したという伝説も残っていて、ヤタガラスは日本サッカー協会のシンボルマークでもあることから、この逸話をご存知の方も多いことでしょう。

 賀茂氏は、京の西域を拠点とした「秦氏」同様、渡来系の氏族であるといわれ、大陸で進んでいた土木技術や機織り、製鉄技術も持ち込みます。

 上賀茂神社が創建されたのは天武天皇7年(678年)と伝えられ、まだ平安京に遷都(794年)されていない時代です。つまり、平城京(奈良)の時代に、すでに上賀茂神社は存在していたのです。そして、平安京が造られてからは、都を守る神社として大いに栄えました。下鴨神社とともにおこなわれる葵祭(毎年5月15日)は、平安時代「祭りといえば葵祭」と呼ばれる、日本最古の祭りです。

 今回は、この上賀茂神社を起点として、都の北端に沿って連なる道を歩き、社家が建ち並ぶ古道、カキツバタ群生の大田神社、氷河時代以来の動植物が今も生息する深泥池(みぞろがいけ)、さらに足を伸ばして国立京都国際会館が建つ宝ヶ池まで歩いてみましょう。 この界隈は、平安京遷都以前に賀茂氏が開拓したエリアであることから、賀茂の源流を訪ねる散策ともいえるでしょう。

上賀茂神社とその周辺の社家
上賀茂神社とその周辺の社家

上賀茂神社とその周辺の社家

 世界遺産の上賀茂神社。遠い昔、本殿背後の北北西に位置する秀峰・神山(こうやま)に神がご降臨になり、第40代天武天皇の御代である白鳳6年(678)に山背國(山城国・京都)により賀茂神宮が造営されたのが由緒です。京都で最も古い神社であり、長い歴史の流れの中でも光芒を放ちつつ、街を鎮護してきました。しかし、第二次世界大戦終結後、GHQが将校たちのためのレクリエーションの場としてゴルフ場を神山の一部に造成し、現在も土地貸与という形となっています。

 上賀茂神社の境内には、国宝の本殿、権殿をはじめ、多くの貴重な建築物があり、ゆっくりと歩きながらめぐってみたいものです。境内に流れる空気感は清々しく、深呼吸したくなります。祭神の依り代である「立砂(たてずな)」が美しい造形美を造り出し、目を奪われます。

 境内を流れる「ならの小川」は、摂社である奈良社由来や、ナラの樹木が生い茂っていたことから名づけられたといわれ、藤原家隆の歌で、百人一首にも編まれているのが、よくご存知のこの和歌です。

 “風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける”

 また、紫式部の歌碑も建てられています。

 紫式部は、上賀茂神社のご祭神である賀茂別雷大神の母にあたる「玉依比売命(たまよりひめのみこと)」が祀られている神社である「片山御子神社(片岡社)」に幾度か通ったといわれています。片岡社は、縁結びや子授けのご神徳があることから、多くの女性達が参詣したのでしょう。

 “ほととぎす声まつほどは片岡の もりのしずくに立ちやぬれまし”

「ほととぎすの啼く声を待っている間、片岡の杜の木々から滴る朝露に立ち濡れていようかしらね」という、いかにも紫式部らしい、控え目でしおらしい歌ですね。

 片岡社からさらに東へ進むと、二葉姫稲荷神社へと続く石段が見えてきます。この社は上賀茂神社の摂社・末社の1つだと思われますが、実はそうではないようで、片岡社の神宮寺にあった鎮守社といわれています。しかし、神宮寺が移転したことで、この社は残されたようです。どことなく神秘的な雰囲気が漂っている社で、古代世界の不思議な気配が感じられます。

二葉姫稲荷神社

〒603-8047
京都府京都市北区上賀茂本山
上賀茂神社から山裾の道を歩く
上賀茂神社から山裾の道を歩く上賀茂神社から山裾の道を歩く

上賀茂神社から山裾の道を歩く

 ふたたび川の流れる通りに出ると、川に沿って端正な土塀がつづく家並みが見えてきます。上賀茂神社の社家(しゃけ)の屋敷です。社家とは代々神社の神職の職を世襲してきた氏族のことで、江戸時代には約300軒の社家がありましたが、現在では20軒ほどになっています。

 そのなかの一つ、西村家庭園は一般に公開されている社家。ならの小川から明神川と名前を変えた水の流れを庭園内に引き込み、ふたたび川に返すという、この地域の社家庭園特有の水の利用形式となっています。流れ込んだ水は、庭園内で「水垢離(みずこり)」という、冷水で身体のけがれを落とし去る所作がおこなわれていたそうです。

西村家庭園(賀茂の社家)

〒603-8075
京都市北区上賀茂中大路町1番地
午前9時30分~午後4時30分
12月9日~3月14日まで 大人500円
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=7000004

 西村家から川伝いに歩くと、立派な巨樹が見えてきます。藤木社(ふじきのやしろ)という上賀茂神社の末社で、明神川の守護神として地域の人々に大切にされている楠です。樹齢約500年、その姿はおおらかで堂々としていて、どこか安心させてくれる佇まいですね。

 さらに社家の1つである「梅津家住宅」があります。梅辻家は、社家のうち神主筋である「賀茂七家」の1つで、建物の主屋は天保9年(1838)には現在の姿であったといわれています。門前から覗くと、いかにも古都の格式ある家であることが分かり、まさに眼福ですね。年に1~2度公開されます。

梅辻家住宅

〒603-8071
京都市北区上賀茂北大路町39
年に1~2回程度一般公開され、日時は京都新聞等に掲載される。
075-711-2712
北大路魯山人生誕地から大田神社へ
北大路魯山人生誕地から大田神社へ

北大路魯山人生誕地から大田神社へ

 北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)の名をどこかで耳にされたことがあるでしょう。陶芸家、画家、書道家、漆芸家、美食家など実に多くの顔を持つ才人で、若い頃はさまざまな苦労をしましたが、35歳を越えた頃から古美術や骨董品を扱う店を開き、 器から料理へとその才能を開花させていきます。会員制の「美食倶楽部」から伝説の「星岡茶寮」へと連なって、日本の食文化に尽くしたといってもいい人物です。

 北大路魯山人が生まれたのがこの界隈で、石碑が建っています。

 マンガ『美味しんぼ』に登場する海原雄山のモデルともいわれる美食の巨人・北大路魯山人。彼に関する多くの書物が出版されています。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

 魯山人の石碑のすぐ近くに、大田神社があります。京都の人たちは、大田神社といえば「カキツバタ」を思い浮かべます。社の参道の東側にある「大田ノ沢」に、約25000株を超えるカキツバタが自生していて、歴史を紐解けば、平安時代からの名勝であったと伝えられています。尾形光琳(江戸時代の画家/1658~1716)の絵『燕子花図(かきつばたず)』のモチーフになったという言い伝えもあります。

 毎年5月上旬から中旬にかけて、沢一面に美しいカキツバタの花が咲き誇ります。国の天然記念物にも指定されていて、のちほどご案内する深泥池(みぞろがいけ)などと共に、貴重な自然がこの上賀茂界隈には多く残されています。

 大田神社は、上賀茂神社の境外摂社になり、本殿・拝殿ともに寛永5年(1628)に建てられた古社です。創建年代は不明ですが、延長5年(927)に成立した『延喜式』にその名を見ることができるので、それ以前に建てられていたのでしょう。古くは「恩多社」と書いて「おんたしゃ」と呼ばれていたこともあり、やがて大田神社の名になりました。山裾に抱かれたように建つ社殿は静寂に包まれていて、遠い昔にタイムスリップしたかのような気持ちになります。

大田神社

〒603-8047
京都市北区上賀茂本山340
https://www.kamigamojinja.jp/topics/2011/2011_kakitsubata.html

 大田神社から少し東へ歩くと、家の生垣の間に小さな祠があります。よく探さなければわからない小さな社で、石段が造られた「幸神社(さいじんじゃ)」です。祭神や由緒など不明な点が多いのですが、前に立てばほっこりとした感覚になる神社です。

 「関西歴史紀行」の「上立売通」篇に、幸神社(さいのかみのやしろ)という神社が登場します。同じ「幸神社」でも読み方が違います。だけど、「幸」という文字が入っていると、なぜか暖かいものに包まれるように思えますね。

幸神社

〒603-8081
京都市北区上賀茂岡本町
歴史を見てきた深泥池
歴史を見てきた深泥池歴史を見てきた深泥池

歴史を見てきた深泥池

 深泥池と書いて「みどろがいけ」とも「みぞろがいけ」とも呼ばれる多くの豊かな自然を残す池があります。周囲は1.5キロ程度と小さな池ですが、西日本の平坦地では珍しい浮島があり、池全体の1/3の広さを占めています。浮島は季節により上下変動し、夏は浮かび上がり、冬になると冠水しているエリアが多くなります。ここに上げた写真の撮影時期は早春ですので、かなり冠水しています。

 深泥池には氷河期以来の動植物が今も生息しています。昆虫なども多くいることから水鳥などの野鳥も多く訪れ、カメラを持った人たちが鳥の撮影に訪れています。これらの水生植物群落保護のため、昭和2年には国の天然記念物に指定されるなど、京都市内の自然を象徴する場として、多くの人たちに親しまれている池です。

 インターネットで深泥池を検索すると「幽霊」だとか「心霊スポット」と表示されることが多いのですが、繁華街からクルマで30分余りの場所にこれほど濃厚な自然環境が残されていることに畏敬の念を植え付け、それが恐怖心へと転換しているように思われます。タクシーに乗車した客がこの池周辺で消えた……といった怪談話は、古くからの場所にはかならずといっていいほど物語られます。深泥池もそうした自然への畏敬の念の深さを表しているのではないかと思います。

深泥池

〒603-8042
京都市北区上賀茂深泥池町67−1
京の漬物「すぐき」発祥の神社へ京の漬物「すぐき」発祥の神社へ

京の漬物「すぐき」発祥の神社へ

 深泥池から少し西に戻ると、住宅街の辻に「愛宕大明神」の燈籠と道標が建っています。道標の文字は読みづらいですが、「東 松ヶ崎/左 くらま/右 岩倉 木野」と読めます。ここから北へ、山の方へ向かうと「深泥池地蔵堂」があり、さらに「深泥池貴船神社」の鳥居が見えてきます。この社は、鞍馬山にある貴船神社が洛中から遠くにあったため参拝が難しく、寛文年間(1660~1670年頃)分霊されてきたもので、地域の人々に篤く信仰されました。現在も、境内は美しく清められています。

 境内社として「秋葉神社」があります。秋葉といえば、静岡県浜松市にある「秋葉山本宮秋葉神社」を思い起こすかもしれません。標高866メートルの山頂に建つ秋葉神社は、全国にある秋葉神社(400社以上あるといわれています)の起源であり、京都上賀茂の秋葉神社もその系列にあたります。ちなみに東京の「秋葉原」にも秋葉神社があり、秋葉が転訛して「あきはばら」となってしまったそうです。

 上賀茂の秋葉神社には、京都の産物に関する言い伝えがあります。それは「すぐき」に関するもので、「すぐき」とはカブの変種である酢茎菜の葉と、カブラを原料とする漬物です。この「すぐき」が誕生した話が実はこの秋葉神社と大いに結びついています。

 かつて深泥池周辺には7つの森と7つの村があり、森の1つが「消し山」と呼ばれて、そこに秋葉神社が祀られていましたが、明治維新の際に神仏混交の神社であったため取り壊されてしまいます。その翌年の春、取り壊したままになっていた神社周辺で山火事が発生し、村を焼き尽くしてしまいます。一切を焼失してしまった村民が、焼け残っていた漬物の樽を開けたところ、漬物に火が通っていて、村の長がつまんで食べてみたところ「酸い茎や!」と叫びます。それが由来となって「酸い茎⇒すぐき」になったといわれています。京都では「柴漬」「千枚漬」と並んで三大漬物の1つでもあります。

大力食堂

〒603-8413
京都市北区紫竹東大門町19-2
午前11時~午後4時
075-491-6367 毎週木曜日
もっと歩いて、宝ヶ池へ
もっと歩いて、宝ヶ池へ

もっと歩いて、宝ヶ池へ

 深泥池から「消し山」に造られた切り通しの道を越えていくと、上賀茂から岩倉と地名が変わります。岩倉で思い出すのが幕末の公家で政治家の岩倉具視ではないでしょうか。たしかに岩倉具視は佐幕派と見なされ、この岩倉の地に元治元年(1864)から慶応3年(1867)まで蟄居させられ、現在も国の史跡に指定された「岩倉具視幽棲旧宅」があり、公開されています。しかしながら、地名の岩倉は古代の磐座(いわくら)信仰に基づいたもので。巨石がご神体である「石座(いわくら)神社」と呼ばれたのが由来となっています。

 深泥池からの道は車道になっていて、クルマの通行量が多いので注意して歩きましょう。住宅街を抜けていくと「宝ヶ池」が見えてきます。

 宝ヶ池は江戸時代にため池として造られた池で、水不足を解消してくれたから「宝物」のような池であるとか、池の形が分銅の形で貨幣に似ているとか、宝暦年間に造営されたとか、諸説あるようです。現在は市民の憩いの場として公園も造られ、池の周囲を散策することができます。目の前には昭和41年(1966)5月に開設された国立京都国際会館があり、レトロモダンな建築デザインが楽しめ、その背景には霊峰比叡の山が聳え立っています。四季を通じてさまざまな花が咲いていて、ジョギングコースにもなっています。散策するにはとてもよいところです。

宝ヶ池公園

〒 606-0037
京都市左京区上高野流田町8他
https://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/page/0000082746.html

 帰り道は、地下鉄の「国際会館駅」か、少し歩いて叡山電鉄鞍馬線の「宝ヶ池駅」が最寄りです。市バスも運行されているのでバス停で確認して乗車ください。



(写真・文/上野卓彦 寺社、城、街道、石碑、昔の暮らしなど歴史をめぐる文章を雑誌等に執筆。京都の路地や辻子、図子にあるお地蔵様や大日如来様、仁丹琺瑯看板などを探して歩いているライター)

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