一日散策 関西歴史紀行 【上野街道 Uenokaido】

京都の通り1本を端から端まで 1日で歴史を味わう散策コース

PLAN44 上野街道 Uenokaido

上野街道 Uenokaido上野街道 Uenokaido
上野街道 Uenokaido

 平安京には、「洛北七野」と呼ばれる「野」がありました。「関西歴史紀行」の「大徳寺通(紫竹街道)篇」にも書きましたように、京都御所から見て北西の方角には、貴族たちの狩猟場であったり、野の草を摘んだり、鳥の聲を聴きに出掛ける場所でした。平安京を遷都させた桓武天皇が狩りを楽しんだのが紫野界隈であったそうです。これらの「野」のさらに遠い場所にある「野」は、亡くなった人たちを風葬する場、霊場でもありました。

 北野、平野、蓮台野、内野、紫野、点野、そして上野が「洛北七野」にあたります。このうち、内野だけが平安京の大内裏にあったといわれ、千本丸太町界隈には内野の名前が今も残っています。北野は天満宮のある付近、平野は平野神社のあたり、紫野は大徳寺と、七野の地名は現在も脈々と受け継がれています。天満宮や平野神社のあたりは霊場ではなかったのではないかと思います。

 「野」のつく地名は、洛北以外にも数多くあり、西の化野(あだしの)や葛野、東の鳥辺野、高野、現在の山科区には西野、東野、小野、栗栖野などがあり、京都にはつくづく「野」が多かったんだなぁと思います。

 今回歩く通りは、応仁の乱の舞台でもあり、織田信長公を祀る建勲神社がある船岡山の東側を南北に走る「船岡東通」ですが、別名「上野街道」とも呼ばれています。京都市北区の紫竹に「上野」という地名があり、「上野の郷」と呼ばれていました。ここには紫竹の竹が自生し、紫野には若菜が、そして萩野は名前の通り、萩が自生していたともいわれます。

 上野街道の名も古くからあり、洛中から日本海の若狭まで続く長い街道で、別名、丹波道、氷室道とも呼ばれ、周山街道が造られるまでは、杉坂、真弓、山国、知井を経て若狭に至る物資の運搬や人々が行き交う古街道でした。

 上野街道は、鞍馬口通を起点にして、賀茂川に架かる西賀茂橋までの比較的短い距離の道です。しかし、通りに沿って大徳寺、今宮神社、大将軍神社、神光院など歴史と趣のある社寺が並んでいますので、楽しい散策になりそうです。

鞍馬口通の船岡温泉から
鞍馬口通の船岡温泉から

鞍馬口通の船岡温泉から

 鞍馬口通は、「関西歴史紀行」ですでにご案内している通りで、全国の銭湯ファンの憧れの船岡温泉をはじめ、若者たちに人気の茶房や居酒屋、レストランなどが建ち並ぶ、ちょっとオシャレで楽しい通り。上野街道(船岡東通)を歩きだす目印は、この船岡温泉からにしましょう。

 通りに「今宮神社参拜道」と刻まれた古い石碑が建っています。玉の輿やあぶり餅で有名な今宮神社は、北大路を越え、大徳寺の北側に鎮座まします伝統ある神社で、この石碑からはそれなりの距離があります。京の七口の一つである「鞍馬口」から、今宮神社にお参りする人が昔は多くいたのでしょう。石碑には風雪を耐えてきた風格を感じます。

 少し歩くと建勲神社の大きな鳥居が目に飛び込んできます。この社は、明治2年(1869)に明治天皇の命により創建された織田信長公をお祀りする神社で、比較的新しい神社です。神社が建つ船岡山は、平安京遷都の際、中国の陰陽五行説の風水の考えに則って、北方向を護る「玄武」の山であるとされています。船岡山南麓からは朱雀大路が伸び、大極殿がありました。玄武=黒、朱雀=赤、西へ伸びる街道を白虎、そして清流賀茂川を青龍として、黒、赤、白、青の色彩が都を護ったのです。

大徳寺から今宮神社さんへ
大徳寺から今宮神社さんへ

大徳寺から今宮神社さんへ

 北大路通まで来ると、そこには建勲神社の石碑が建っています。そして、北大路から細い道を行きます。車が入ってくることがない道なのでゆったりと歩くことができます。というのも、ここからは大徳寺の境内に入るからで、風情のある土塀をたどりながら歩けます。

 臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺は、正中2年(1325)に正式創立され、仏殿や法堂(はっとう)などの伽藍に、20ヶ寺を超える塔頭が並んでいます。大徳寺からは、名僧一休宗純をはじめ、村田珠光、武野紹鴎、千利休、小堀遠州など多くの茶人ゆかりの寺院です。

 静かな佇まいをみせる龍光院。ここは、黒田長政が父である黒田如水の菩提として建立した塔頭で、非公開ですが、門前から内を眺めることができます。

 さらに、石畳のつづく道に「高桐院」が見えてきます。ここは、細川氏ゆかりの菩提寺で、細川忠興、ガラシャ夫人の墓所があります。冒頭にある美しい竹林の写真が、門前から眺めた高桐院の境内です。こちらの塔頭は公開されていますので、お参りすることができます。

 大徳寺の境内から北へ抜けると、小さな漬物店があり、思わず暖簾をくぐりたくなります。そして、広い通りに出て来ると、そこは今宮神社の鳥居前になります。「鷹峯街道」篇でご案内した、名物あぶり餅店が参道に2軒向かい合っていて、ひと休みしていくのもいいですね。

大徳寺

〒603-8231
京都市北区紫野大徳寺町53

今宮神社

〒603-8243
京都市北区紫野今宮町21
牛若丸の生誕地
牛若丸の生誕地

牛若丸の生誕地

 今宮神社から北へ進んでいきますと、道端に小さな石碑を見つけました。「牛若丸産湯井 胞衣塚」と刻まれているようです。「胞衣塚」は「えなづか」と読み、「胞衣」とは、「胎児を包んでいる膜、胎盤・臍帯など」の総称だそうです。つまり、牛若丸はここで産声を上げたことが、塚の存在によって証明されているということでしょう。

 牛若丸は源義経の幼名で、案内板によれば、平治元年(1159)この地で誕生しました。父である源義朝(1123~60)の別業(貴族の別荘)があったとも、母親の常盤御前が暮らしていたとも伝えられています。「産湯井、胞衣塚」と刻まれた石碑には、応永2年(1395)の年号があり、室町時代に建てられたもの。おそらく京都で最も古い時代の石碑だと考えられています。

 現在は畠のなかにぽつんと建っている石碑ですが、明治時代までは「牛若丸産湯大弁財天女社」というお宮さんがあり、開運の御利益があると多くの人々が参っていたそうです。

 源義経は31年という短い生涯を送った悲劇の武将のイメージがありますが、その史料の少なさから、チンギス・ハーンとなってモンゴル帝国で活躍したなどという珍説もあり、日本史における謎の人物といえそうです。

牛若丸胞衣塚

〒603-8207
京都市北区紫竹牛若町

 北に進むと「大宮交通公園」が見えてきます。子ども達が正しく交通ルールを守れるようにと昭和44年(1969)に造られた公園で、園内を走行できるゴーカートが人気ですが、現在ゴーカートの存続問題が持ち上がっているそうです。

 園内には、なつかしい京都市電の車両があったり、御土居の痕跡があったりと、大人が出かけても十分に楽しめます。緑も豊かにあり、子供や孫を連れて出かけるにはとてもいい場所です。市電の車内は本を読めるスペースになっているのも面白いですね。

大宮交通公園

〒603-8432
京都市北区大宮西脇台町17
075-491-0202
無料(ゴーカートは有料)
午前9時~午後4時30分
火曜日(祝日の場合は開園、翌日が休園日)、年末年始期間(12月29日~1月3日)
大将軍神社と神光院
大将軍神社と神光院

大将軍神社と神光院

 地名が、大宮から西賀茂へと変わる境のところ、上野街道から少し西へ入った坂道の途中に「大将軍神社」があります。京都市内には大将軍神社が幾社かあることから、「西賀茂大将軍神社」と呼ばれています。

 由緒書によると、創建されたのは推古17年(609)で、後に桓武天皇が平安京の造営のときに、王城鎮護のため平安京の四方に大将軍神社を建立し、この西賀茂の社は北部を護る神様であったそうです。創建時は「須美社」「角社(すみやしろ)」とも呼ばれ、方違(かたたが)え、厄除けの神様として多くの民衆の信仰を集めていました。また、古くから瓦窯(かわらがま)が造られていて、平安時代には京都御所に奉納する瓦の職人たちの宿舎になっていたことから、「瓦屋寺」と言われていたこともあったそうです。

 本殿は、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社であった片岡社本殿を移築したもので、一間社流造と呼ばれる古式豊かな建築方法が用いられています。本殿周辺には豊かな樹木が造り出す森になっていて、境内にたたずむと森閑とした気配に心が洗われます。

 毎年秋におこなわれる例祭は、行列の主役を「乙女」が担い、「乙女」を警護する男たちや、お稚児さんたちが古来の装束に身を包み、にぎやかに氏子町内を練り歩くそうです。氏子さんから聞いた話では、上賀茂神社へ奉納するためこの「乙女」たちが道を行く際、追剥ぎ(盗賊)などに襲われることがないよう、多くの男子たちが護ったそうです。追剥ぎとは物騒な話ですが、以前、光悦寺の和尚も「鷹峯街道あたりには昔、追剥ぎが出没してなぁ……」という話を伺ったことがありました。この西賀茂も、つい50年前までは広大な畑地が広がり、夜ともなると暗闇に包まれた地域だったのですから、江戸時代から明治大正の頃は、実にさみしいところだったのでしょうね。

大将軍神社

〒 603-8845
京都市北区西賀茂角社町129

 大将軍神社から北へ少し進むと、「神光院(じんこういん)」があります。本尊は弘法大師空海で、「厄除け大師」として多くの人々の信仰を集めています。東寺(教王護国寺)、仁和寺とともに京都三大弘法として有名な真言宗の寺院です。創建されたのは建保5年(1217)のことで、上賀茂神社の神主であった賀茂能久が「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受け、大和國(奈良)から慶円を招いて創建したそうです。「霊光」が寺の名前の由来だとか。

 この寺院で空海は90日間修行をおこない、寺を去るときに境内の池に映るみずからの姿を見て木像を彫ったと伝えられ、現在も本堂にこの木像は安置されています。

 一気に時代を超えた幕末。女流歌人で陶芸家でもあった太田垣蓮月が、その晩年をこの寺で隠棲していました。境内には「蓮月尼旧栖之茶所」と刻まれた石碑と、茶室が残されています。

神光院

〒 603-8836
京都市北区西賀茂神光院町120
午前9時~午後4時30分
なつかしくて新しい、「タバサ」でひと休み

なつかしくて新しい、「タバサ」でひと休み

 上野街道から少し東へ入ったところに、素敵なカフェを見つけました。「Tabasa/タバサ」という、人気ドラマ「奥様は魔女」(1964~1972年までアメリカで制作され、日本では1966年から放送)に登場した、魔女のサマンサとダーリンの間に産まれた子の名前から採られた名の喫茶店です。

 今の時代、カフェが街のあちこちにありますが、「タバサ」はどこか懐かしい雰囲気を漂わせる喫茶店。木の扉を開けると、木製のカウンターが見え、珈琲のいい香りが漂っています。ご夫婦で経営されて46年、1973年にオープンした店は、大学生やサラリーマンの憩いの場として人気を集めています。1973年といえば、まだ西賀茂に田畑が広がっていた頃。見渡すかぎり何もなかった場所でしたが、今や多くの住宅が建っています。

 「向日市からこちらに来た当初は、喫茶店などやったことがない全くの素人でした」という山本雅子さん。開店当時は今よりメニューもずっと少なかったそうです。だけど今は、見開きメニューいっぱいに、さまざまなドリンクや食事が並んでいます。

 ご主人はデザイナーで、店はご主人が手作業で作られたとか。カウンターに座ると使い込まれた優しい木のぬくもりが伝わってきます。写真にあるのは、「タバサ」特製のマッチ。今どき、自家製のマッチを提供してくれる店はほとんどなくなってしまったなか、ご主人デザインのマッチは嬉しい一品ですね。魔法使いでもあるタバサちゃんは、本来は「箒(ほうき)」に乗っていますが、この店のタバサちゃんは何と「スプーン」にまたがっています。なんて可愛いんでしょう!

 オープン以来のメニューという「バーガーセット」を注文しました。「まだ、マクドナルドもあまり店がなくて、お客さんはハンバーガーなど食べたことがない人ばかり。だから、〈こうやって頬張って食べるのよ〉なんて教えたりなんかしました」と雅子さんは笑います。

 銀紙に包まれたできたてのハンバーガー。パンズはふわふわと柔らかく、はさまれたビーフはとろけるように柔らかですが、食べ応えは充分。サラダとフライドポテトもあるので、とてもボリューミー。このほかに、ドライカレーや海老ピラフなどに人気があり、日替りランチもやっています。

 いつもは厨房にいるご主人にカウンター内に出てきていただき、ご夫婦の2ショットを撮らせてもらいました。訪れると、優しいお二人が出迎えてくれます。

 カフェではもう消えてしまった、お店の人と話をしながらコーヒーを飲んだり、食事をしたりという本来の喫茶店の姿が、この「タバサ」ではごく普通にくりひろげられています。「懐かしいけど新しい」……「タバサ」はそんなお店です。上野街道の散策に限らず、賀茂川を歩いて西賀茂まで来た折、あるいはドライブの途中に立ち寄りたい店ですね。

カフェ「タバサ」

〒603-8828
京都市北区西賀茂大栗町85
075-491-8658
午前11時~午後9時
木曜日
なつかしくて新しい、「タバサ」でひと休み

 「タバサ」を出て東へ歩いていくと賀茂川の流れに行き着きます。西賀茂橋が架かっていて、橋上から眺める賀茂の流れは、三条や四条のそれとは異なり、優雅でおおらかな印象です。このまま出町柳の高野川との合流地点まで歩いてみるのもいいかもしれませんね。



(写真・文/上野卓彦 寺社、城、街道、石碑、昔の暮らしなど歴史をめぐる文章を雑誌等に執筆。京都の路地や辻子、図子にあるお地蔵様や大日如来様、仁丹琺瑯看板などを探して歩いているライター)

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